ロートレアモン『マルドロールの歌』とは何か|シュルレアリスム詩の核心を読む

【ロートレアモン伯爵】『マルドロールの歌』をわかりやすく紹介|シュルレアリスムの源泉

デペイズマンとシュルレアリスム

《解剖台の上でのミシンと蝙蝠傘の偶然の出会いのように美しい》——この象徴的な一句に、ロートレアモンの詩集『マルドロールの歌』の本質が凝縮されている。これはシュルレアリスムにおける代表的技法「デペイズマン(dépaysement)」の体現でもある。

デペイズマンとは、無関係に思える言葉やイメージを意図的に接続し、意味の混乱と衝撃を生む表現技法。読者を理解から引き離し、「突き放す」ことで、逆説的に世界の本質へと迫る。ロートレアモンはこの手法を、詩の形式を超えて、後の芸術運動にまで大きな影響を与えた。

時代を先取りした詩人

ロートレアモンは、生まれる時代を誤った天才だった。彼の作品が評価されるのは死後数十年を経てから。24歳の若さで没し、生前に名を残すことはなかった。

本名はイジドール・デュカス。伯爵でもなんでもないが、ペンネームのもと、100年先の前衛を生み出した詩人として今では確固たる評価を受けている。

ブルトンと幻の肖像

ロートレアモンの再発見は、シュルレアリスムの父アンドレ・ブルトンによるものだった。だがそれは彼の死から50年後のこと。さらに肖像写真が確認されたのは、死後100年を過ぎてからというから、その生涯は謎に満ちている。

記録も乏しく、1870年に共同墓地に葬られたものの、その墓の所在すら不明である。そんな伝説性もまた、彼の作品世界と妙に調和している。

愛読体験とフランス語原文

筆者が本作に出会ったのは1991年頃。福武文庫から出ていた藤井寛訳に心を打たれた。難解な原文を見事に解釈し、鮮やかな日本語へと昇華した名訳である。

この魅力に惹かれ、飯田橋の欧明社までフランス語原文を求めて買いに行ったのも懐かしい思い出だ。当時は独学でフランス語を学んでおり、辞書と文法書を片手に格闘しつつ読破。収録されたもう一つの作品『ポエジー』にも衝撃を受けた。分からない箇所は藤井訳に戻りながら、なんとか理解を深めていった。

マルドロールとは何か

“mal(悪)”と“douleur(苦悩)”を掛け合わせたような名前——マルドロール。それは自らの悪性に苦しむ存在を象徴しているように思える。

全6歌からなる本作は、最初から最後まで秩序を打ち壊す破壊力に満ちている。しかし、その狂乱の中にも明確な構造がある。まず読者の思考を一度粉砕し、既成概念を外した上で、徐々に平易な文章を交えていくのだ。そのプロセスは、言語によって毒された我々の感覚を「治療」する詩的手術のようでもある。

まとめに代えて

『マルドロールの歌』は、ストーリーを追う作品ではない。解釈の枠すら拒絶するような奔流の言葉たち。それでも、読み進めることで、言語に潜む力と狂気、そして詩の本質に触れることができる。

◯関連レビューはこちら→ ロートレアモン【マルドロールの歌】にあらすじはない

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました