ボードレール【悪の華】「1日の終わり」〜暗闇とともに訪れる官能の夜

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黄昏の訪れ

「1日の終わり」は詩集『悪の華』の「死」の節にある詩。夕暮れのパリの喧騒の中、詩人がふと1日の疲れからの解放を感じ、喜びとして歌った。詩のリズムはゆっくりで、しずしずと迫り来る夜の闇の足音が聞こえてくる。そのうちに東の地平線から徐々に夜が訪れ、詩人はベッドに横になり思う存分清々しい暗闇に包まれ休息へと入る。

死んで蘇る太陽神

「太陽」では人類における詩人のポジションを人々を平等に照らす昼の天体に譬えて歌った。ボードレールはこの詩では西の地平線に沈みゆく太陽神ラーのようにも見える。エジプトの太陽神ラーは、西の彼方に沈んで大地の裏側へと入り、夜の間冥界のハデスを旅する。そして朝、東の地平線から登り復活するのだ。

一人称スタイル

悪の華に限らずボードレールの詩は一人称で語っているのが多い。また自分の魂をペットのように可愛がり「我が魂よ」と呼びかける様がよく見られる。彼の詩全般に言えるのは自己の客観視であり、自分の身体はもとより精神、魂、脳髄までも観察の対象である。その点はサルトルも著作で指摘してたと思う。ほぼほぼ自己で完結しているため、オナニスト的だなどと無礼なことをサルトルに書かれた。

「我が精神よ。私の脊椎と同じくお前は、休息を渇望している。我が心は陰鬱な夢で充たされている」

ジャンヌ・デュヴァル

陰鬱な、と勝手に訳したフランス語はfunebreだが、これはdeuil(喪)の意味に近い使われ方だと思う。一人でベッドで寝る詩人にはかつてジャンヌ・デュヴァルと言う黒人混血の恋人がいた。『悪の華』は芸術の神と彼女に捧げた詩集だと言っていい。もっとも献辞はテオフィル・ゴーティエになってはいるけれども。燃えるような夜を過ごした恋人はもういないので、心は寂しい。にもかかわらず詩人は夜を「官能的な」と呼び、その中でマルドロールの歌のサメのようにのびのびと寛げることに歓喜している。

官能的な暗闇

不眠症で夜眠れなかったり働かずゴロゴロして昼寝してたりする方々もいらっしゃると思う。ボードレールはこの詩の中で「夜」と「ベッドで横になれること」に感謝している。昨日も明日もない、ただ今宵の暗闇が甘美に詩人を包み込む。

目に見える物と耳に聞こえる物だけを真実とするのは浅はかだ。五感では知覚されない実体も存在する。プラトンやヘルメス・トートに説かれるまでもなく、感覚され得ないからこそ寧ろ真なのである。詩人の精神と心を満たしていた夜の幻想は中世のサキュバスやオナニストの妄想などでなく、夜の闇に棲まうセクシュアルな生き物だったのかもしれない。

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