ダンテ【神曲】まとめ (18) ~「煉獄篇」 第16歌・第17歌・第18歌
第16歌:怒りと自由意志
煉獄の第三圏では「怒りの罪」が浄化されている。地獄の暗闇すら凌駕する濃い煙がダンテたちを包み込み、ダンテは師ヴェルギリウスの手に導かれて進むしかない。
そんな中、煙の奥からは「アニュス・デイ(神の子羊)」の歌声が響き渡る。そこに現れたのが、13世紀の宮廷人マルコ・ロンバルド。彼は、人間の自由意志と運命の法則について深い議論を交わす。神の正義と人間の選択との関係――ここでダンテは、ただ善悪を分けるだけではない、人間存在の根本にある問いに触れていく。
第17歌:光の天使と愛の教義
ようやく濃霧を抜けたダンテたちは、光に包まれた天使と出会う。その翼の羽ばたきによって、また一つダンテの罪が洗い流される。
天使は聖書の言葉を唱える。「悪しき怒りなく、平和を求める者は幸いである」。光に目が慣れないまま、ダンテたちは次の圏へと歩を進めようとするが、日は暮れ、彼らは足を止めて「愛とは何か」という哲学的な対話を始める。
第18歌:怠惰と情熱の方向性
夜半、愛についての疑問がダンテの心に湧き上がる。師ヴェルギリウスは、愛の本質とその善悪の分かれ目について丁寧に教えてくれる。
「善き師と出会うこと」──それがどれほど貴重なものか。この時のダンテの感動が、そのまま詩行に滲み出ている。
すると、突然バタバタと忙しげに走ってくる魂たちが現れる。彼らは「怠惰」の罪を負った者たちであり、今ここで不断に駆け回ることで償いを続けている。昼夜を問わず走り続ける彼らの姿は、怠惰という罪の裏にある「本来持っていたはずの熱意」を思い出させる。
一人の魂が石段の方角を教え、やがてダンテは夢うつつのままにまどろみに入っていく。
まとめと考察:怒りと神のパラドックス
煉獄篇は地獄篇に比べてテンポが早く、構造も比較的シンプルだ。今回の三歌では、怒り・夜・怠惰という三つのテーマが扱われている。
「怒り」は、人間の自然な感情であると同時に、時に暴力や破壊を引き起こす。仏陀も怒りを断つことが悟りの条件だと説いたが、それは容易なことではない。
聖書の神でさえ、黙示録において「怒りの七つの杯」を地上に注ぎ、人類に最終的な裁きを下す。その怒りは正義か、それとも復讐か。
では、人間にとって怒りとはどう向き合うべきなのか? ダンテが示す答えは「怒りの力を高次の精神領域に昇華させること」にある。
怒りを抑圧するのではなく、キリストのように沈黙と自己犠牲によって昇華させる。その姿勢が、最終的に「天の王」として復活する道でもある。怒りは破壊ではなく、変容のエネルギーとなりうるのだ。
煉獄篇は、そうした内面的な戦いと再生の物語でもある。
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