ダンテ『神曲』解説(13)煉獄篇:慎ましさの山を登る魂たちの旅路

ダンテ【神曲】まとめ(13)〜「煉獄篇」第1歌・第2歌・第3歌

煉獄の島へ──地獄を越えて

尊敬する詩人ウェルギリウスの導きにより、ダンテは地獄の深淵を無事に通過した。だが、旅はまだ終わらない。

ここから始まるのは魂を浄めるための登攀──『煉獄篇』である。

地獄では悪の本質を見せられたが、煉獄では“善”の厳しさが立ちはだかる。「愛は死よりも強し」とあるように、光に照らされることは、闇に飲まれる以上に痛ましい場合もある。

この山の頂で、ダンテは若くして世を去った最愛の女性ベアトリーチェと再会する。そして師ウェルギリウスの案内は、そこで終わるのだ。

第1歌──自由の守護者カトー

煉獄の島に上陸したダンテとウェルギリウスは、澄んだ空気のなかで番人カトーと出会う。

カトーは古代ローマの自由を守るため自決した哲人。彼の許可を得て、ダンテは「藺草(いぐさ)」を腰に巻くように指示される。藺草は慎ましさの象徴であり、山を登るにふさわしい美徳である。

傲慢は地獄に属する性である。煉獄ではむしろ、自己否定と謙虚さが求められるのだ。

第2歌──魂の上陸と急かす光

テヴェレ川の河口から、煉獄へと向かう船が到着する。そこには多数の魂が乗っており、彼らは番人に促されるように山へと急ぎ駆け上がっていく。

光に向かって登るのは、地獄篇で描かれた“沈み込む動き”とは真逆のベクトルである。

第3歌──悔悛と祈り

一行はついに煉獄の山の斜面に差し掛かる。ここで出会うのはナポリ王マンフレーディ。

彼は現世の人々から祈りを捧げられることによって、魂の浄化が早まることを語る。煉獄における苦しみは、罰ではなく“浄化”であり、その性質は根本的に異なる。

まとめ──「慎ましさ」が導く登攀

地獄篇と異なり、煉獄篇には激烈な地獄絵図はない。だが、精神の深みを問う試練が静かに続いていく。

特に重要なのは「慎ましさ」。これは、他者との比較ではなく、自らを見つめ、支配欲や名声欲を手放すことを意味する。

傲慢とは、己を神と等しき存在と誤認することであり、それこそが地獄を生む原罪である。

この先ダンテは、炎による浄化、涙による懺悔、そして天使の歌による赦しを経て、ついに“星”へと至る道を歩むことになる。

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