ダンテ【神曲】まとめ(30)〜「天国篇」第19歌・第20歌・第21歌
天国篇もついに中盤を越え、詩はますます抽象的で神秘的な光に満たされてゆく。読者としてはまるで宇宙という名の虚空を泳いでいるような感覚──だが、ここまで来たのだからもう少し頑張って見届けよう。
第19歌〜神の正義と“鷲”の問い
ダンテは木星天におり、そこでは魂たちが整然と並び、神を象徴する巨大な「鷲」の形を成していた。驚くべきは、その鷲が「我々」ではなく「私」と一人称で語ること。つまり、多数の魂が一つの意志として結ばれ、ひとつの存在として語るのだ。
ウィリアム・ブレイクも『地獄の箴言』の中でこう述べている:
When you see an eagle, you see the portion of genius.
(君が鷲を見るとき、君は天才の一部分を見ている)
この「鷲」に、ダンテは問う。たとえばインドに生まれ、キリスト教を知ることなく仏陀のように徳を積んで生きた者は、救われないのか?
だが鷲は言う──「神の正義は人間の理解を超えており、深く探ろうとすること自体が傲慢である」と。そして地上の王たちの名を次々と挙げ、彼らの不正義を厳しく断罪する。
第20歌〜ダビデと神のまなざし
鷲の「目」の位置にいる霊魂──それは詩人であり、信仰の王ダビデであった。彼は旧約聖書の英雄であり、『詩篇』の作者。羊飼いだった少年が、巨人ゴリアテを投石で倒した逸話は広く知られている。
そのダビデの魂が、きらめく光として鷲の眼に輝き、ダンテに向かって瞬きながら挨拶を送る。彼の詩は後にグレゴリオ聖歌として歌われ、深い悲しみと歓喜の両方を湛えた音楽としてキリスト教世界に響き渡る。
──聴いたことがなければ、ぜひ一度聴いてみてほしい。あの荘厳な響きは、単なる宗教音楽ではなく、人間存在の本質に触れる何かを宿している。
第21歌〜土星天と沈黙の霊魂たち
次なる第七天は「土星天」。ベアトリーチェがダンテを見つめた瞬間、彼は言葉を失う。その美しさがあまりに崇高で、彼女が微笑みさえすれば、ギリシャ神話のセメレーのように燃え尽きてしまうと比喩されるほど。
土星天には音楽も歌声もない。聖なる沈黙の中で、霊たちは梯子を昇り降りする。これは旧約のヤコブが見た幻の「天使の梯子(Jacob’s Ladder)」を想起させる。
導かれるままに昇った先、ダンテは沈黙の魂ピエトロ・ダミアーノと出会う。彼は世俗的な聖職者の腐敗を非難し、真に神に仕える者とはどうあるべきかを語る。
土星の輪──科学と象徴のあいだ
天文学的に土星の「輪」が知られるのは1600年代以降──つまり『神曲』執筆時点では誰も知らなかった。しかし、ここに現れる「梯子」や「霊の軌道」は、まるでその未来の知を暗示しているかのようだ。
科学が語る土星の輪は、塵と氷の集まりにすぎないかもしれない。だがダンテの見る土星は、神の沈黙のうちに構造化された霊的階層の世界なのである。
まとめ:正義・信仰・沈黙の連環
木星の鷲は「人の正義感」を凌駕する神の意志を語り、ダビデは神への信仰を歌い、土星の霊たちは沈黙の中で神に仕える。
この三つはそれぞれ独立したようでいて、いずれも神の計画と栄光に貫かれている。人の理性が届かないものに向き合いながら、詩人ダンテの魂はさらに高次の天界へと導かれていくのだった。
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