【マルキ・ド・サド】『悪徳の栄え』澁澤龍彦訳・河出文庫版レビュー
河出書房新社より刊行されている澁澤龍彦訳『悪徳の栄え』(上・下巻)は、全訳ではないもののサド作品の精髄を凝縮した濃厚な抄訳である。その分量は全体の3分の1程度とされるが、読者を満足させるには十分な読み応えがある。
特に評価すべきは、物語後半に展開される幻想的な冒険譚である。単なるポルノグラフィでは終わらないサドの語りは、澁澤の名訳により黒いエロティシズムと文学的幻視の交差点として顕現する。
幻想と逸脱の旅──イタリア以降の展開
アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグが『ジュリエット』で高く評価したように、『悪徳の栄え』の核心はイタリア旅行以降の超現実的ともいえる描写にある。アペニンの隠者ミンスキー、ローマの大饗宴、大盗賊ブリザ・テスタ、秘密結社、シベリア脱出、ヴェスヴィオ火山見物──読者は果てしない悪徳と想像力の旅路へと誘われる。
ナポリ──狂気と残虐の監獄
サレルノの監獄に宿泊するジュリエット一行。ここは実質的に精神病院であり、狂人ヴェスポリが権力を握っていた。彼の性愛対象は狂人のみ。裸の狂人との倒錯的な行為、鞭打ち、磔刑、強姦といった儀式が滑稽さと戦慄のあわいに描かれる。
ヴェスヴィオの火口に消える夫人
ジュリエットは女友達ボルゲーズ夫人を火山の火口に突き落とす。友人クレアウィルは自慰しながら歓喜に震え、「自然に逆らった行為になぜ罰が下らないのか」と神を嘲る。地獄に最も近いこの場面は、自然、快楽、倫理の境界を問う。
ローマの大饗宴──欲望の見本市
サド的想像力の極致は「大饗宴」において示される。登場する慰み者たちは、人間・動物・老若男女を超え、去勢された男、両性具有、一寸法師、老婆、猿、犬、牝ヤギ、そして4歳の少女までもが含まれる。倒錯と滑稽が錯綜する饗宴は、破壊的快楽の終点である。
読後の所感
澁澤龍彦の訳文は、サドの悪徳を「哲学」として日本語化する稀有な文業である。その語彙、節度、リズムの巧みさが、読むに値する文学としての価値を保証している。
この書物を読むことは、悪を実践することではない。悪の深淵を覗き、己の倫理感覚を試す試練である。読者よ、サドの地獄を覗き見る覚悟はあるか?
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