「もうライターもイラストレーターも要らないんじゃないか?」
そんな声が飛び交うAI時代の現在──。
これは、そんな未来を誰も想像していなかった頃。
貯金をかき集めて“本を出す”という夢を叶えた、ひとりの人間のリアルな記録である。
高校生だった頃の夢
十代の私は、自分の名前が書店に並ぶ未来を本気で信じていた。
文学に憧れ、芸術に魂を焦がし、やがて「群衆」を軽蔑するようになった。
誰にも会いたくなくなり、本とだけ向き合う日々。
でもある日ふと思った。「こんなことしてても…意味なくない?」
そうして文学を断ち切った。それでも「本を出したい」という気持ちは、心の奥にずっと残っていた。
30歳、なぜか出版で一発当てようとする
J.K.ローリングが世界中でハリポタ旋風を巻き起こしていた頃。
私は金に困り果て、藁にもすがる思いで「本でも出すか」と思い立った。
恥ずかしながら完全に“打ち出の小槌”扱いである。
計算までした。「印税って何パーだ? 1億部で……」とか。
3日くらいで100ページの連作短編を書き上げ、「これはイケる」と文芸社に投稿。
すぐに「素晴らしい作品です!」と返事が来た。
まんまとその気になって、鼻高々に出版に乗り出す。
初回は資金ショートで撃沈
契約金160万円。まるで車を買うノリだ。
当然そんな金はない。親に相談すれば「ふざけんな」と怒られ、出版計画はあっさりご破算。
契約不履行となって、そのまま夢は封印された。
7年後、復活の狼煙
30代後半。ようやくお金を貯めた私は、再び出版に挑んだ。
夢を叶えるなら今しかない。売れるかどうかは二の次。
「死ぬまでに一度、本を出しておきたかった」──ただそれだけだった。
新宿の文芸社を訪ね、7年前の原稿を手渡す。
手書き原稿は担当者が入力し、数回のやり取りでデータ化された。
添削や編集を経て、ついに出版へ。
本は出た。だが、売れなかった。
印刷部数は1000部。販売用は750部。
印税は……たったの1,500円。
重版も話題性も、当然なし。でもそのときは本当にうれしかった。
友人たちに配りまくり、SNSでちょっと自慢し、手元に本があるというだけで幸福だった。
書店の棚に並び、国会図書館に保存され、夢が現実になった。
その後
契約終了後、在庫処分の案内が届く。処分費がかかるという。
ならば、と著者引き取りを選び、自宅にダンボールで300部が届いた。
知人に配ったり、ブックオフに売ったり、図書館に寄贈したり、
最終的には引っ越し時にご近所に無料配布して回った。
今、手元にある新品は10冊ほどだ。
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Amazonでも中古が出回っているし、文芸社オンラインで無料公開もされている。
●斎貴男『手 hand』
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今だから言えること
自費出版は芸術の夢を叶える手段ではなく、金のかかる自己満足の装置だった。
電子書籍化、広告、PR……全部オプションでさらに課金。
出版業界は、夢を金に変える装置ではなく、夢から金を吸い取る装置だった。
でも、そこに人生を賭けてよかったとは、今でも思っている。
そして今、ブログという武器を手に入れた
いま私はこうしてブログを書いている。
年間1万円以下のコストで、毎月5000人以上が読みにきてくれる。
海外からのアクセスもある。Googleが勝手に翻訳してくれる。
出版業界が夢見る「海外展開」を、ブログは一瞬で成し遂げてしまう。
そして……毎日、あの出版印税より稼げてしまう。
紙の本に魂をかけた過去があるからこそ、
この時代のありがたさが身に沁みる。
コメント
初めまして、楽しく拝読させて頂きました。
その、夢と野望に燃えて自費出版された、100ページほどの短編を是非読んでみたいです。
どこで買えるのでしょう?
温かなコメントどうもありがとうございます。アマゾンで古書でも売ってますが買う必要はありません。お金がもったいないです。以下のサイトで無料で読めるはずです。https://www.bungeisha.jp/