エッセー

【小さな目】朝日新聞社の小学生詩作品投稿欄〜担任の先生への鎮魂歌

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祖母

私の生みの母親は私が幼くして死に、母の思い出はほぼゼロである。母が死んで祖母が母親代わりになり、以後継母が来るまでの数年間、私と祖母の甘い時が流れた。

幼いということ、これは無垢であるということはもとより、何かこう、神聖な無知の状態を思わせる。母が死んだという現実も祖母がその代わりを勤めているという状態も、子供にとり、何の思考の対象にもならない。ただ、それである、というだけである。

運命に対する完全な服従の状態、素直な姿勢である。

寡婦

小学一年生は私の心がまだ純真だった、最後の時期である。もっとも、祖母という存在にすでに激しい愛着は抱いていたとしても。N先生は私の初めての先生だった。近所に住む、私と同じような息子を持った、若い頃に夫を亡くした、所謂未亡人である。

先生の息子はずっと後に会う機会はあったが、その時は同居してなかった。大学生だったのかもしれない。聖書の言葉で言えばやもめ、寡婦であったN先生はきっと私の母の死を、自分の境涯と合わせ仰せて、痛ましく感じたことであろう、と想像される。

そうでなくとも田舎は近所の訃報には敏感に反応するものだから。先生の旦那さんはたしか病死だったかと思う。私の母は交通事故で即死だった。子供の私には何もわからない。記憶にすらない。

記憶

人が死ぬとその人の思い出がずっと忘れていたことまで思い出される。これはいかなる心理作用によるものか、経験される方は多いと思う。最近祖母が高齢で亡くなった。良い死に方であったと思う。すると幼い頃の記憶が、引っこ抜かれた根にくっ付いて一緒に掘り起こされて出てくる地中の虫のように、たくさん現れ出した。

もう私を自慢する祖父母はおらず、自慢される純真な子供もいない。それなのに実家の祖父母のいた居間のガラス棚には、私が子供の頃獲得したつまらないトロフィーやらが、金色に光っている。ふとそこに、朧げな記憶にはまだ残っていた小さなバッジの箱が置いてあるのを見つけた。

バッジ

大事そうに、もらった時のまま、プラスチックの箱に、まるで宝石のように(と私は思った)、その記念バッジは、やや黄ばんだ油紙に包まれて、黄ばんでいるがボロボロではないスポンジの上に乗って仕舞われていた。

それは朝日新聞社が小学生児童用に掲載していた詩のコーナーに、入賞した子供に贈られるバッジだった。”小さな目”、”朝日新聞社”、”賞”、”SUS"、与えられる情報はこれだけ、知っている人は知っている独特の絵とカラーで飾られた表面。安全ピンぽい針が付いた不思議な高級感がある裏面。

バッジは時代によりデザインは異なるものの、メルカリで売りに出されていたり、古くて珍しいと骨董屋でも出ている。検索してもらえれば画像も見れる。

「小さな目」は今はデジタル化されつつ続いているコーナーであるが、やはり私と同じように、昭和のレトロな思い出として記憶されている方々もいることだろう。アマゾンなどでは1960年代の単行本も売っており、見つけて購入した人の熱烈なレビューなども読める。

作文

N先生の指導で、恐らく五十音を習ったばかりの私は詩というか、短い作文を書き、先生は「小さな目」に応募し、「雪だるま」と題された私の作文は新聞に乗り、記念バッジをもらったのである(ということは冬の出来事か)。

もちろん私はそんな賞を取ろうなんて考えもしないし、作文の上手い下手の概念もない。たしか先生が直してくれて応募したんだと思う。つまり私は何もしておらず、先生が私のために取ってくれたようなものなのだ。

このコーナーにコネとか根回しが効いたものかどうか、私は知らない。しかしこのバッジは私でもなく、祖母でもなく、N先生が動いて手に入れ、私にくれた物である。先生は授業参観に来た私の祖母を見て、強く情に流されたに違いない。

無論私には他の親たちが私の祖母よりも若いとか、そんな認識すらなかった。つまり、本当に何も知らない純真無垢の子供だったのだ。

贔屓

N先生に担任してもらった小学校一年間、私はいつも贔屓にされていることを感じていた。先生は私に「特別」という概念を与えた。今なら問題になるくらいであろうの特別扱いを、私は学級内で受けていた。

担任を外れて小学校二年の時校庭で会って、「僕、弟ができるんだって」とN先生に言った。その時先生は何も言わず私を大胆に抱きしめた。ムニュッ、というおっぱいの感触をはっきり覚えている程だ。結局弟はできず仕舞いだったが。

先生

高校の頃、たしか一度道端で会ったような。。。私は以後純真無垢ではなくなっていった。この世と自らの悪にどんどん染まっていった。先生との思い出も、そこにいた祖母の面影とともに記憶の底に仕舞い込まれた。昼間誰もいない先生の家の、ひっそりとした静けさ、中に覗けるお仏壇、草の生えた庭、下校途中寄り道してよく覚えている。

その先生のお家はもうない。つまらない新築の住宅に変わっている。先生がどのような晩年を送ったのか、私は知らないし、バッジを受け取って以来、まともにそのことについて話を交わしたりもしてない。

しかし祖母が死に、先生もおそらくとうに死んで、「小さな目」のエピソードを知る者は神と私以外にいなくなった。はるかの時を経過し、昭和のレトロな模様の箱を開け、美しいまだ錆びていない多分ステンレス製のバッジを手にとり、私は今頃N先生の気持ちが分かった。

先生はこの可愛そうな子供に何かしてあげたい、ずっと記憶に残るような何かを、先生が死んであの子が年を取った後になっても記念になるような何かをあげたい、そう思って私に賞を取ってくれたのだ。

貴重品

40数年ぶりに「小さな目」の記念バッジを眺めながら、私には先生の気持ちがはっきりと伝わった。何と時間のかかることよ。もしこれに気付かずに死んでいたら、どうだったであろう。

新聞記事の切り抜きは昔額に飾られてあったがもうない。ただバッジだけは、貴重品のように、もらった時のまま祖父母がガラスの飾り棚に仕舞っていた。N先生はたしかこれをわざわざ家まで持って来てくれたんだろう。実家は朝日新聞を取ってはいなかった。

何もわからない子供は初めて世間から”賞”をもらい、”新聞”に作文が載った。何かこう、すごく大切な物を授かったような、「貴重な物」をもらったような気がした。

N先生、その通りでした。有難うございます。

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