【時計と騒音】秒針の機械音によるマスキング効果──聴覚過敏と詩的感受性の狭間で
1. 詩と時計──ボードレールの恐怖から
ボードレール『悪の華』に収録された詩「時計」では、擬人化された秒針が不気味な声で語りかける。過去を悔いる者への警句として、それは静かに、しかし執拗に囁く。
「私はおまえの生命を吸った。思い出せ、浪費者よ。時間は鉱脈、そこから黄金を採掘せぬ者は破滅する。」
この詩的イメージが筆者にとって現実のものとして響くようになったのは、身近な死を経験した後だった。秒針の「カチカチ」という音が、時間の不可逆性と個人の有限性を耳元で告げるようになったのである。
2. ハンズの掛け時計──静寂の中の音
筆者の所有する縦長の掛け時計は、町田の東急ハンズで購入したもので、長らく横浜や川崎の部屋に掛けられていた。都市の喧騒に紛れ、秒針の音は意識されることは少なかった。
だが、田舎に転居し周囲の音が減少するに従って、このカチカチという機械音が不意に耳に障るようになった。筆者は電池を外し、時計をクローゼットに仕舞い込んだ。
3. 再起──外界の音と秒針の音
数年後、近親者の死を経て聴覚が過敏になり、鳥や風の音には慰めを見出す一方、隣家のテレビ音や話し声に著しく神経を乱されるようになる。
この状況下で耳栓を試すも、より効果的だったのが、件の時計の秒針音だった。
4. マスキング効果──一定のリズムによる鎮静
音の心理学において「マスキング効果」とは、一つの音が他の音の知覚を妨げる現象である。筆者はこれを身をもって体験することとなった。すなわち、外部から侵入する不規則な騒音──テレビ、車両音、人声など──に対し、 掛け時計の規則的な秒針音がそれらを上書きするのである。
一定間隔のリズムは、脳にとって予測可能であり、睡眠や集中にも好ましい影響を与える。反復性をもつこの「機械的自然音」は、結果として安心感すら生み出すようになった。
5. 結論──“時の音”を聴く試み
一般には静音設計の時計やデジタル時計が好まれるが、むしろ筆者は“音のある時計”を推奨したい。恐怖を抱いた対象と共存すること──それは詩人が時間と向き合う姿勢にも通じるのではないか。
秒針の音は、確かに死と過去を刻む。しかしそれはまた、騒がしい現実から自己を守るための、最もミニマルな“音響バリア”でもあり得るのだ。
「静けさのなかで響く秒針の音、それは耳にすることを選び取る勇気の証である。」
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