ついに公開
這ってでも観に行く。1年以上前からずっと待っていた、この映画を。幸い地元の映画館が字幕版の上映を開始したため、公開翌日鑑賞した。
1982年公開の前作から35年、「ただいまからブレードランナー2049の入場を開始いたします 😀 」この案内を聞いた時のときめき。
3時間近い上映時間、長いとも感じることなくトイレにも行かないで済んだ。夢中で映像と音響に喰らいつき、貪った。
あらすじ
ライアン・ゴズリング扮する感情の無いレプリカントはブレードランナー役。いわば同類が同類を狩る形だ。その点ハリソン・フォード演ずる前作とは異なっている。彼がロサンゼルス警察署の上司に命ぜられて、子供を出産したレプリカントの謎を追跡しながら人間と魂の秘密に迫って行く。
子供の父親は前作でブレードランナーのデッカード、母親はレプリカントのレイチェルだ。前作ではアンドロイドが奏でるピアノに魅せられ、デッカードはついに恋の誘惑に負ける。
ライアン・ゴズリング
とにかくライアン・ゴズリングが渋い。彼の演技はどの作品も物静かな中に今にも爆発しそうな緊迫感を孕んでいるが、今回も見事にブレードランナーを演じた。彼がスクリーンにいるだけで映画全体が引き締まる、そんな俳優である。
デッカード
前作の続編ということで懐かしキャラのデッカードも年取って登場するけれども、別にいなくても良かった。ライアン・ゴズリングこそ、この映画に必要なのだ。
しかしストーリ上デッカードは必要不可欠である。前作ではハリソン・フォードがレプリカントの女・レイチェルを連れて逃げるところで終わっているのだから。
ジョイ
そして彼の恋人である未来のAI、「ジョイ」。"joi"と書くが喜びを意味する"joy"が製品化されたものなのであろう。この人工的なAIとの愛が非常に切なく、泣けてくる。彼女は自宅の固定された装置によってプロジェクターに映写され、姿形をとるのだが、ライアン・ゴズリングが彼女を外に持ち出せるユニットをプレゼントする。雨の中のジョイちゃんとの抱擁、娼婦の身体に同期して抱き合うシーン、見所は色々あるが一番好きなシーンがある。
ライアン・ゴズリングが自分に移植されたらしい記憶の真偽を明かすために、ジョイをあの空飛ぶ車に乗せて産業廃棄物の集積場にある孤児院までドライブする。降りしきる夜の雨の中、そのシーンは壮大で暗く、切なく、未来的である。私はなぜか涙が流れた。
BGM
そして音楽の素晴らしさ。前作「ブレードランナーのテーマ」は有名だが、この作品も素晴らしい。さっそくapplemusicでサントラをプレイリストに追加させてもらった。サントラは滅多に聴かないがこれは良い。お聴きになればわかる。
戦闘シーン
唯一いまいちな場面があるとすればクライマックスの戦闘だけれど、それも許せる範囲である。防波堤みたいな暗闇に座礁した車のなかで、ライアン・ゴズリングと敵のレプリカントが殺し合う。デッカードは手錠をはめられていて何もできず、情けなく車が海に沈んで行くがままである。
総評
何の迷いもなく私の映画人生の頂点に位置する作品である。観た後すぐにもう一回観たいと思った。映画は3回観たいと思ったが結局2回鑑賞した。
作品全体としては難しいテーマを扱っているようだが実は人々に共通の感情を捉えており、全然飽きさせない。ものすごく暗いストーリーと映像だが面白く病みつきになる。人は明るいものや楽しいものだけでなく、暗いものや恐怖や悲しみをも好むものなのだろう。そう思わされた。
"like tears in the rain"前作でルトガー・ハウアー演ずるレプリカントが死ぬ間際に言うセリフだ。ブレードランナーは雨の場面が多い。SFながら人間の寿命や魂の問題を扱う、どことなく切ないブレードランナーという作品。「雨」そして「涙」こそはこの映画の鍵ではなかろうか。
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