アタランテ・フギエンス第9図|老いと若返りの寓意:露の家と果実の象徴解釈

疑似学術地帯

【ATALANTA FUGIENS】EMBLEMA IX.
――老爺を木と共に露の家に閉じ込めよ。その実を食べ、彼は若返る

“Arborem cum fene conclude in rorida domo, et comedens de fructu ejus fiet juvenis.”

露と恵みの空間

「露の家」とは、聖書的にいえば“神の恵みの宿る場所”である。『創世記』などでは、父が祝福する息子の上に天の露が降る。一方、呪われた者には天が閉じ、露は絶たれる。

本章では、老人と木がこの“露の家”に閉じ込められる。そしてその実を食べることにより、老人は若返るという。ここに描かれるのは、自然と恵み、知識と快楽、老いと再生の象徴的な結合である。

木と実の象徴

木とは“生命の木”あるいは“善悪の知識の木”を暗示している。その実を食すとは、知識あるいは快楽による再生を意味する。

老年とは、肉体の衰え、感覚の鈍化、快楽の減退を抱える時期である。しかし、だからこそ再び快楽を知ること――感性を取り戻すこと――が「若返り」となる。知によるか、官能によるか、それは人それぞれである。

聖書的な若返りの寓意

アブラハムとサラは高齢で子を授かると予言されたとき、笑って信じなかった。だが神はその約束を実現した。――「神には不可能はない」。

ここでの若返りとは、肉体の若さの回復というより、魂の再生や、生への感受性の復活を意味する。枯れた身体に、もう一度実を味わう力が与えられるという主題だ。

官能と若さの関係

夫婦の営みは快楽を伴うが、加齢とともにその情熱は減退する。現実には、若い頃のように激しく情動が燃え上がることは難しい。だがそれでも、人間の欲望と身体の記憶は完全には消えない。

筆者自身も年配の女性との交わりの中で、「欲望は年齢によっても死なない」ことを実感したという。快楽の質は変わるが、その存在は確かである。

古代王たちの“若返り”

聖書では、ソロモン王が晩年に多数の側室を抱え、父ダビデも老いて気力を失った際に若い処女を添い寝させたとされる。

このような伝統を思えば、「若返り」の象徴的手段として若き肉体との接触が選ばれるのも不思議ではない。本章の象徴が示すのは、「快楽と恵みに囲まれた空間に老いた魂を導け」という錬金術的処方である。

結語:若返りとは魂の再点火

若返りとは、単に若い肉体を得ることではない。欲望を取り戻すこと、生への感受性を再点火することこそが、本当の意味での“再生”である。

それが露の家であれ、知識の木であれ、官能の果実であれ――その実を味わう限り、人は再び「若く」なれるのである。

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