"Arborem cum fene concludein rorida domo, et comedens de
fructu ejus fiet juvenis."
露
露は『沈黙の書』でも言及されている聖書の神の恵みに他ならない。息子を祝福する父は天から降る露を持って繁栄を祈る。逆に呪いを受ける息子の天は青銅になり、一切の恵みが断たれる。従って露の家とは恵みの降る家ということになる。
老人が共に閉じこもる木は、生命の木もしくは善悪の知識の木である。どっちでも構わないのである。その実を家の中に閉じこもって食べ、老人は若返る、とある。老人の若返りには恵みが必要なのである。
実
老人とは人生の老年に差し掛かった人である。身体は干からび、心はあらゆる快楽を奪われて萎びてしまっている。快楽こそ、人の心を生き生きとさせる要素だと言わんばかりである。
この木が知識の木だとすれば、老人が食べて快楽を得るのは知識によってである。これに対し、この木が生命の木だとすれば、老人が食べて快楽を得るのは快楽によってである。つまり、夫婦の営みを指す。
子供
アブラハムもその妻サラも、天使が子を授かることを予言した際、年取った自分達に今さら子供なんかできるわけない、と思って笑った。さらに子供ができた時、まさか老年になって子を得る喜びがあろうとは思わなかった、と言って笑った。
神には何でもできる、と聖書に書いてある通り、老人を若返らせることだって可能なのだ。「逃げるアタランテ」のこの章が扱っている若返りというテーマとは、要するにこういうことなのだ。
夫婦の営みには快楽が付き随うが、老齢と共にその喜びも少しずつ減っていく。お互いの身体能力の衰退と気力の衰えが感覚を鈍くし、全く勃起不能になってしまう男もいる。よくアメリカ映画で60過ぎたカップルが高校生みたいにいちゃついている場面を見るが、現実はそうではない。
筆者も年配の女性と行為をしたことはあるが、人間やろうと思えば何歳になってもやれるのだな、と感じはした。しかし若い青春時代の、10代の頃のように全身が快楽で震え、激しい欲望で魂が沸き立つことはなかった。
若返り
イスラエルのソロモン王は晩年邪教に走ったが、淫行の一貫として多数の側室を抱えていたという。父ダビデも側近の勧めで老いた気力を若返させるために、一人の極めて美しい処女に添い寝させた。
このような例からもわかる通り、この章の意味は老人を若い女体とともにハーレムに監禁せよとの結論となる。しかして、彼は若返る。必ず。読者の皆さんだってそうだろうと思う。