映画『万引き家族』感想・レビュー|是枝裕和監督が描く“底辺の幸福”と戦後社会の問い
是枝裕和監督といえば『誰も知らない』『海街diary』『そして父になる』『三度目の殺人』など数々の名作を手がけてきた現代日本映画の旗手。
本作『万引き家族』(2018)は、カンヌ国際映画祭パルムドールを獲得した代表作であり、国際的にも評価されたその真価に迫る。
映画の内容とメッセージ
タイトルから「犯罪映画」を連想させるが、本作の主題は“人間関係の本質”にある。一見して無秩序に見える擬似家族だが、そこには形式的な戸籍や血縁を超えた、人と人のあたたかな絆が息づいている。
リリー・フランキーと作品の力
リリー・フランキーは本作でも“どうしようもない父親”を見事に演じる。安藤サクラ、松岡茉優、樹木希林らの名演も光るが、なにより是枝監督自身が「原案・脚本・監督」の三役を担っている点に、本作の思想的な強度が見て取れる。
下層社会における幸福感
「見すぼらしいアパート」に暮らすこの一家は、金も地位もない。それでも小さな喜びや共感にあふれた生活がある。彼らの間に流れるのは、垂直的な支配構造ではなく、緩やかな水平のつながり。
労働や社会制度に縛られない“人間の生き方”を問う寓話でもある。
戦後社会へのアンチテーゼ
本作が“抉り出している”のは、戦後日本が形作ってきた「家族観」「幸福観」という名のフレームである。それは高度経済成長とともに量産された「正しい家庭」のイメージであり、今やその裏にある窒息感が暴かれようとしている。
この家族は“ずれている”のではなく、“ずらされてしまった”のだ。社会から。制度から。見えない線引きから。
まとめ:沈黙の抵抗としての家族像
『万引き家族』は、従来の価値を喪失した人々が、その名前も役割も隠したまま、ただ“共に生きる”ことを選んだ物語である。それは無言のまま社会へ問いかける静かなレジスタンスであり、現代人に必要な「人間関係の再定義」のヒントに満ちている。
コメント