アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグの『イギリス人』一般普及向けガリマール版の序文から、まず以下を抜粋する(澁澤龍彦訳);
「私は、彼らがたまには彼らの地獄の安全弁を吹っ飛ばしてしまったほうがいいと思う。せめて言葉の力で、彼らのプリニウスや彼らのボルゲーゼ公爵夫人をヴェスヴィオ火山の猛火の中へ突き落とすことができるようであってくれればいいと思う。」
もうひとつ、『イギリス人』の冒頭で引用されるエピグラフ:「洗練された苦痛に対するあの性的誘惑は、わが子を取って食う雄兎の傾向と同じく、健康な肉体の男にとって自然な誘惑である。」
引用はこれくらいにして本題に入ろう。これらはここから始まる筆者のレビューのアリバイまたは言い訳に過ぎない。
●参考→【城の中のイギリス人】マンディアルグのエロティシズム小説・澁澤龍彦訳紹介
マンディアルグ
マルキ・ド・サドの『ソドム120日』の日本語全訳は青土社の心理学専門佐藤晴夫氏のものしかない;サドと言えば澁澤龍彦氏なのであるが、氏はソドムの全訳は出してない。従って本レビューは佐藤氏の訳による。
仕事の完成度は高く、早速筆者はソドムの原文の仏語本を注文し、これからじっくり味わって読もうというところ。まさしくこの本は、神だの、真理だの、永遠だの、深遠な語彙の多い当サイト”xアタノールx”管理人の聖書となるにふさわしい。
サドに理性はない。だが彼の作品はマンディアルグの作品を解読する鍵になる:ソドムを読んでサドとマンディアルグの作品のイメージとの関連を、明らかに観察することができた。マンディアルグという人は、サドに関する評論を著しているばかりか、三島由紀夫の『サド公爵夫人』のフランス語訳者でもあるのだ。
このようにマンディアルグの作品をより理解するためにこそ、サドはいるのであり、それ以上でも以下でもない:前置きはいい加減これくらいでよかろう。グーグルが送り込む蜘蛛にBANされないためである。
●関連→三島由紀夫【サド侯爵夫人】わかりやすく紹介・2018年最新
あらすじ
この小説はスイスのバーゼル地方にある”黒い森”の奥深くにある、何人も近づくことの許されないシリング城に4人の気違い染みた道楽者が立てこもり、四ヶ月120日間に渡って性の饗宴を繰り広げる物語である。
これだけを聞くとありふれた話のようであるが、この小説には”サディズム”の語源となったある種の嗜好が充満している。4人の主役はいずれも架空の人物であり、ありえないほど極悪である。つまりシリング城には40人が入ったが、語り女4人と彼ら以外の32人は殺されようが煮られようが切り刻まれようが、何も言えないただの犠牲者である。
4人の語り女たちは集会室の玉座に座ってそれぞれ150合計600種類の性欲の話をし、物語の合間に欲情した主役たちは少年少女や妻や巨根保持者を相手に乱行に耽けるのである。第一の女は単純な情欲を、第二の女は複雑な情欲を、第三の女は罪の情欲を、第四の女は殺人の情欲を。
小説の構成は序章と第一部が物語を形成しているが、第二部以降はプランで終わっている:つまり、誰がどんなことをして楽しんだか、延々と書き綴られる。ソドムが性倒錯嗜好の百科全書と言われるのはこの所以であろう。
妊婦の処刑
まずもって筆者の関心を呼んだのは妊婦に対する虐待の酷さであった。最も第一部の佳境はスカトロ一色であり、第二部もしかり、第3部辺りから鞭や身体の損傷が伴い、第4部で洗練された殺人に至る:アマゾンなどのレビューでは不快だとの声が上がっている。
しかし筆者はよほど心根が腐っているのか、プラトンの『国家』などを読むより、はるかに楽しい思いを味わわせてもらった。誠に『ソドム120日』を読んでいた日々は(夜暗くなってから読むのだが)、心楽しい限りであった。
”読書=快楽”の図が、そこに出来上がっていた。人を人とも思わぬ虐待と、他人に苦痛を与えることで得られる歓び、そして相手に同情するどころかただ笑うだけ。十字架に糞をし二人の妊婦を縛り上げ、ボールのように蹴飛ばし、胎児を炉に投げ込む。
実際、人間なんてものは、生まれてきたとて自分のけち臭い欲求にとらわれて走り回って、一生思考を働かせることもなく、ただ他人にどう思われるかばかりを恐れ、虚しく100歳まで病院のチューブに繋がれてまで寿命を惜しむという、この上ない害虫である。
サドも人間ほど質の悪い動物はいないと書いている。こんな地球上の害虫に等しい蛆虫がこれ以上増えるより、ソドムのように、腹の中にいる時点で母親もろとも消滅させた方が無難であろう。この点に関しては筆者は全面的にサドに同調する人間だと、ここで宣言しておこう。
まとめ
アマゾンのレビュー者や一般の人たちが感じる嫌悪の代わり、筆者はこの上ない愉快と腹を抱えるほどの笑いをこの本から受け取った:おそらく私自身、主役たちのひとりで最も情欲に制御の効かない法院長に似ているのかもしれない。
サドはバスティーユの「自由の塔」という象徴的な名の牢獄で、小さな蝋燭の明かりを頼りにし、幅12センチの巻紙を12メートルつなぎ合わせ、この『ソドム120日』を書いたのであった。毎晩夜7時から10時まで、絶望の囚人の唯一の快楽がこの本を書くことであった。
これに比べたら現代のAVの悦楽のなんと貧弱なことか:ソドムでは、あたかも出された料理を残さず全部綺麗に食べ尽くしてしまわねば自然の恩恵に対して失礼なように、饗宴の終わりで残った犠牲者を次々始末する:
人間の狂気がここにある。そしてこの狂気こそ、マンディアルグの深遠で難解な芸術を解読するために絶対に必要なものなのである。