【天体観測】肉眼ではじめて見る「木星」──古代人の眼差しと、現代人の再発見
木星、見ごろ到来──「衝」とは何か
現在、太陽系の7大惑星のひとつ・木星が「衝(しょう)」の位置にあるという。「衝」とは、地球より外側を回る惑星(外惑星)が、地球と太陽のちょうど反対側に来る天文現象。つまり太陽—地球—木星が一直線に並び、夜空でその存在が最大限に際立つタイミングである。
この言葉を覚えたのはつい最近のこと。筆者は夜、タバコを吸いに外へ出ることが多い。電子タバコよりもラッキーストライクのような紙巻き派で、室内では吸えないため自然と空を見上げる機会がある。田舎ゆえに空は広く、星がよく見える。
古代人と惑星──7つの星はなぜ選ばれた?
ある晩、20時前後だったか、ふと天を仰ぎながら考えていた。古代人はどうして、あれほど多くの星の中から「7つの惑星」だけを特別視できたのか?ダンテの『神曲』「天国篇」でも、それらは宇宙の構成要素としてしっかり組み込まれていた。
人工衛星や天文写真のある現代ならともかく、星が無数にある中で、なぜ特定の星だけを「惑星」と認識できたのか。その答えは「動き」にあった。天球上を他の星々とは異なる軌道で運行する、それが惑星の特徴だったのだ。
そんな思考の末に、初めて私は「あの星が惑星ではないか」と目視で特定しようとした。眼鏡をかけ、南東の空を見渡すと、ひときわ明るく白く輝く星がある。あれだ、と直感した。おそらく、あれが木星なのだ。
◯ 関連→ダンテ『神曲』「天国篇」まとめ
調査:国立天文台「今日のほしぞら」
すぐさま調べてみる。ネットという現代の叡智は、こういうときに真価を発揮する。検索結果の中で見つけたのが、国立天文台の「今日のほしぞら」というサイトだった。
🌌リンク👉今日のほしぞら(国立天文台)
このサイトでは、任意の場所・時間における星の配置や出没時刻、方位を簡単に確認できる。シンプルで見やすく、初心者にも扱いやすい。ここで、自分が見た星が確かに「木星」であることを確認できた。
さらに、星がどの時間に出て、南中し、沈むのか。また「天文薄明」「市民薄明」といった用語の意味もここで初めて知った。空の暗さには段階があり、星の観測条件がそれに左右されるということも。
「見る」から「認識する」へ
このとき、私は本当に驚いた。巨大な機械が稼働しているのを初めて見たような、そんな感動だった。おそらく小学校で理科として習った内容だったかもしれない。だが、試験に出ない知識は記憶の彼方へと追いやられていた。
50歳近くになって、ようやく私は木星を「見る」のではなく、「木星であると認識して見る」という経験を得た。
確かに、これまでにも木星の光を見たことはあっただろう。しかし認識がなければ、それはただの「点光源」にすぎない。だが今、それは太陽の光を反射して輝く巨大な惑星として私の目の前にある。
天体の運行が「時間」を造る
ふと思った。地球を他の星から見たら、やはり光って見えるのだろうか?――その答えはイエスだ。太陽光を反射する星々は、互いに「存在」を光として知らせ合っている。
そして、これらの星の運行が「時間」を形づくっている。地球の自転と公転、それが昼夜と季節を決めている。日の出・日の入りの定義は、太陽の上辺が地平線と一致する時刻だという。地平線の距離は √13×h(km)で、hは観測者の目の高さ(m)だ。
白夜の地域では、太陽が地平線から沈みきらず、天文薄明が連続する。完全な夜が訪れない。これは地球の傾きと緯度によって起こる自然現象であり、我々の「時間感覚」すら変化させる。
この宇宙を巨大なCAD図面にして描いたら、どれほどのスケールになるだろうか?想像だけでクラクラする。8-O
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