【古書】紙の遺物と宝探しの悦び──「古本」と「古書店」の思い出と現状
漂着する本──紙のタイムカプセル
古書の魅力は、ただ安価なだけではない。むしろ、それが「どういう経緯でここにあるのか」を想像させてくれる点にこそ深い味わいがある。
本の奥付には、発行年月日、出版社、印刷所の名が記されている。まだ存在する出版社もあれば、既に姿を消したものもある。戦前の本、戦後間もないもの、筆者が生まれる前の出版物もざらにある。
かつてその本を手にした誰かの顔を想像する――丁寧に読まれた末に手放されたのか、それとも読み始めて「違うな」と思い、すぐに売られたのか。そんな空想を掻き立てる一冊に出会えること。それが古書の醍醐味である。
もちろん、すべての古本が“味のある一冊”というわけではない。新しくて安いものに越したことはないし、古いだけで価値があるわけでもない。ただし、本当に良い古書には、まるで熟成した酒のような深みがある。
難点を挙げるなら、書き込みやアンダーライン入りの本。あれは読書の静寂に他人の声が割り込んでくるようで少々興ざめだ。蔵書印くらいならまだしも、赤線入りの哲学書ほどテンションが下がるものはない。
古書店という現場──かつての宝の洞窟
電子書籍とネット通販の隆盛により、かつての「古本屋巡り」という娯楽は風前の灯となった。神田神保町まで行かずとも、クリック一つで稀覯書や絶版本にアクセスできる今、紙の本との“運命的な出会い”は減ってしまったように思う。
本来、古書店は偶然性に満ちた空間だった。埃をかぶった本棚に差し込む一筋の光のなかで、誰にも気づかれず眠っていた一冊が、ふとこちらに顔を見せてくるような瞬間。そうした出会いのスリルが、かつての古書店にはあった。
学生時代、高円寺のガード下にあった古本屋をよく訪ねた。読み終えた単行本や、見つけた洋書を持っていくと、店主の老紳士が虫眼鏡でじっくり査定してくれた。買うだけでなく、売って日銭を得る場所でもあったのだ。
古書店の変容と図書館の孤島
近年の“古書店”といえば、ブックオフのような大型チェーンが主流となり、中古ゲーム・マンガ・DVDが棚を埋め尽くしている。文学や思想書、詩集が並ぶような書棚は、地方都市ではほとんど見かけなくなった。
もちろん、その代わりをネットが担っている面はある。だが「棚を漁る」という行為に宿っていた身体性と偶然性は、そこにはない。
図書館もまた変わりつつある。数十万円する学術書や、絶版となった名著が丁寧に保管されているにもかかわらず、誰にも借りられず眠っている現実。検索しても予約ゼロ。人々は手に取りやすい軽薄な本しか読まなくなった、と言えば言いすぎかもしれないが……筆者としては、ありがたい(笑)。
なぜなら、そうした「誰にも注目されない本」とこそ、面白さが潜んでいることが多いからだ。
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