三島由紀夫の「命売ります」はいかにも氏らしいテーマ・タイトルと思われることだろう。この作品は「週刊プレイボーイ」に1968年、つまり氏が割腹自殺する2年前に21週にわたって連載された。
週刊プレイボーイ
「週刊プレイボーイ」は若者向けの娯楽雑誌だが、時代の先端を行く記事を時折乗っけて男臭さを醸し出しているのが特徴。少なくとも筆者が読者だった頃はそうだ。テレビを見ず雑誌類もほぼ読んでなかったがプレイボーイだけは買っていた。そこに載っているグラビア・アイドルの水着写真を眺めて「よし、こんないい女をモノにするぞ」と自分に意気込みを与えるために。当時プレイボーイの小説家の連載物は村上龍の「龍言飛語」で、「全ての男は消耗品である」などというエッセイも昔よく読んだ。
何が言いたいのかいうと1968年当時の若者もまた、1990年頃の筆者世代が村上龍を読んだように三島の連載を読んでいたのではないかと感じたからだ。当時の若者のムーブメントとして全共闘、ヒッピー文化などがある。時代の著名な先鋭作家が若者に与える啓示である。ちなみに村上龍は「日本は貧乏だ」とか「日本は変な国だ」など、バブル真っ只中すでに書いていた。
実際そのような軽い読み物風の小説であり少しも難しくない。普段本など手に取りもしない読者層向けだろう。活字に慣れていない方々にも入りやすい話に出来上がっている。連載モノというだけあって一コマ一コマが小さく区分けされてるので、ちょっとずつ読んでも差し支えない。
思想
自決数年前のこの時期には他にも「太陽と鉄」「葉隠入門」などが発表されている。どれも武士道に根付いた三島の厳格な論理の本だが、「命売ります」にも通俗で軽薄なストーリーながら根底には同じ思想が認められる。
◯「太陽と鉄」についてはこちら→三島由紀夫【太陽と鉄】内容と解説〜三島由紀夫による葉隠的作品
あらすじ
コピーライターの羽仁男(はにお)はある日行きつけのスナックで晩飯を食っていた。読んでいた夕刊がテーブルの下にずり落ち、それを拾おうとすると何と新聞の上にゴキブリがいる。その時から新聞の活字が全部ゴキブリに見え出した。突然死にたくなった羽仁男は終電まで時間を潰して睡眠薬を大量に飲んで電車に乗った。
目がさめると病院にいた。自殺は未遂に終わったのだ。だが一旦命を捨ててみるといやに心が自由で晴れ晴れとしているのに気付く。「生きる」のがどうでも良くなった羽仁男は早速会社を辞め、自宅アパートに「命売ります」(Life for Sale)の札を掲げ商売を始める。広告は新聞に出しておいた。
最初の客は老人の寝取られ亭主。若い愛人と寝て相手の中国人か何かに一緒に殺されてくれと頼む。次は図書館から稀少本を盗んで外人に売り飛ばした中年女、吸血鬼の母親に動脈血の提供をしたいと言う親孝行少年、毒人参を食って暗号解読をしてくれと迫る秘密情報部員など、立て続けに依頼があるが羽仁男は中々死ねずひと財産築いてしまう。
するうち金と命が惜しくなり商売を辞め、ドラッグ漬けのオツムの弱い女と郊外に身を隠す。さらに出来すぎた話だが依頼者たちは一つの陰謀で繋がっており、中国人組織に命を狙われる。途端に重苦しい「未来」に再び支配された羽仁男は生きることを恐れ、逃げ惑うようになった自分を見出し愕然とする。
巣から垂れ下がりブラブラ揺れる蜘蛛が時計の振り子に見え出し、その先にギロチンの刃が揺れているかと思ったという幻影はエドガー・アラン・ポー「陥し穴と振り子」の影響だろうか。
◯エドガー・アラン・ポー「陥し穴と振り子」はこちら→【エドガー・アラン・ポー】「陥し穴と振り子」〜ソリッド・シチュエーション・ホラー的短編を紹介
終戦後
三島由紀夫は20歳で終戦を体験した人である。筆者の90歳を超えた婆さんと同じぐらいの生まれである。ウチの婆さんは戦争時のことをいかにも暗黒で嫌な時代だったという風に思い出す。「あんなことは体験させたくない。私には青春も何もなかったのだよ。恐ろしいものだ戦争は」そう言う。しかし三島は違う。そのエッセイや作品には戦争中の方がずっと幸せだったと書いている。都会と田舎の事情の違いはあれど、戦時中には混沌と明日をも知れぬ死の恐怖があったのであり「未来」のため殊更に「生きる」必要はなかったのだから。
その生の逆説は氏の評論やインタビューでも良く語られているところだ。死を常に覚悟し隣り合わせになることによって、生はいよいよ輝きを増し人は自由になるのだと言う。現代人が魂を病んでおり生きていながら死んでいるような生活なのは、日常に「死」が圧倒的に欠乏しているからだ。
その抑圧された死への衝動は時たま若者や老人の間で爆発する。介護苦により親や配偶者を殺す自らも老いた家族や、路上や学校で手当たり次第に殺人をおっぱじめる通り魔などが挙げられる。近頃話題のSNSを使った自殺募集などもそう。
戦争中と戦後の心の移り変わりは氏の最初の長編小説「仮面の告白」にも見ることができる。
◯「仮面の告白」についてはこちら→三島由紀夫【仮面の告白】レビュー〜元少年Aの「絶歌」と比較
まとめ
もはや生きることにしがみつくことで臆病になり、かといって今更堅気の会社員にも戻れなくなった羽仁男。殺し屋から助けを求めて駆け込んだ警察署から追い出されるシーンで、女々しく夜空を見上げるとき世間と自分の背中は冷たかった。
「図に外れて生きたらば、腰抜けなり。この界危なり。図に外れて死にたらば、犬死に気違いなり。恥にはあらず」とは三島由紀夫座右の書「葉隠」の文句である。
「武士道といふは、死ぬことと見つけたり。二つ二つにおいて、早く死ぬ方に片付くばかりなり。胸座って進むなり」
軽薄な物語の後ろにこれら武士の思想が感じられることだろう。
◯「葉隠入門」はこちら→【葉隠入門】三島由紀夫による「葉隠」の解説書を紹介