作品概要
イギリスの貴族ホレース・ウォルポールの「オトラントの城」(1764年)は、城という閉ざされた現実空間に幽霊や超常現象が出没するホラー色の濃い物語。ウィリアム・ベックフォードの「ヴァテック」、マシュー・グレゴリー・ルイスの「マンク」などとともにゴシック小説の代表作とされる。
”ゴシック小説”の定義は中世ヨーロッパの建築様式であるゴシック風の建物を背景とした、超自然的・怪奇恐怖小説風の分野とされるようだが、まさにこれを発明・開拓したのは「オトラントの城」という作品なのだ。であるからもしゴシック小説・物語にこれから入って行こうとするならば、まずはこれを読まなければならないと強く推奨する。
◯「ヴァテック」についてはこちら→【ヴァテック】ウィリアム・ベックフォード著作レビュー〜オリエント奇譚・幻想物語を紹介
◯「マンク」についてはこちら→【マンク】〜修道僧が悪魔と契約・少女を陵辱〜M・G・ルイス作ゴシック小説紹介
巨大な兜
時は16世紀、イタリアはオトラント領主マンフレッド公は跡取り息子の婚礼を今まさに開くところだった。己の治世存続のため、一刻の猶予もなく世継ぎをもうけることに焦っていた。だが祝福されるべきその日に突然、常人が被るものの100倍はあるとてつもない大きさの鎧兜が中庭に落下した。
跡取り息子は下敷きになり遺体は見るも無残に引きちぎられていた。これは一体どこから飛来したのだ!?公は叫んだ。誰も答えられず恐れおののくばかりである。セオドアという若い百姓の身なりをした男が、それは聖者の墓所に佇むかつての領主アルフォンソの立像が被っていた兜と同じものである、と断言した。若者は魔術師扱いされ、兜の下に監禁される。
預言
オトラントにはある伝説があった。それは「真の王がもはや城に住まいきれなくなるほど大きくなった時、オトラントの城と領主権は真の所有者の元へと移る」というものだった。不吉な兜の徴を不審に感じつつマンフレッド公は天の定めと審判に抗うが如く、しぶとく悪どい策を弄する。
公は悲しむどころか、すぐさま次の策を弄した。すなわち息子の許嫁だったイザベラ姫を自ら妻とし、正妻のヒッポリタを離縁するというものだった。イザベラを呼び出してそのことを告げ、いますぐ床を共にすべしと迫った。花嫁はどうにかこうにかその場を逃げ出した。
怪奇現象
城では怪現象が起き始めていた。ため息をつく祖父の肖像画、画は額縁から抜け出てきてマンフレッドをギャラリーの奥の部屋までついて来いと案内する。また臣下の者は大回廊の隣の大きな部屋で、横たわった巨大な脚を見た。
イザベラは修道院に続く秘密の地下通路を探し求めて走っていた。と途中でセオドアと出っくわした。彼は兜に閉じ込められた時に空いた地面の穴から抜け出して、地下で途方にくれていたのだ。イザベラを無事秘密の通路へ逃したところでマンフレッドに見つかった。
巨大な軍刀の騎士
イザベラを保護した神父は城へ出向き、天命においてマンフレッドの無法をやめさせようとしたが効かなかった。やがてオトラントの城に「巨大な軍刀の騎士」が隊列を組んで行進してきた。筆頭の騎士フレデリックは森の中で聖者に出会い言われるがままに土を掘ると、そこから一振りの巨大な剣が現れたのだった。剣はその大きさに見合った兜の元へ引き寄せられてきたのであるが、この騎士は実はイザベラの父親だった。
シェイクスピアっぽい人物の絡み合い・血縁関係が少しややこしいのでその辺は飛ばす(笑)。ともかく件の若い百姓こそ血筋においても、元々の家の系統においても正当なオトラントの所有者だった。城では今度は巨大な手が大階段の手すりで目撃された。鼻血を流す聖者の像、不気味に揺れる兜の羽根飾りなどが、運命の終わりを告げてきていた。
まとめ
平凡という概念は日々見慣れているということだけに尽きる。例えばアフリカ未開民族の日常は東京の日本人のそれではない。また縄文時代の普通の暮らしは江戸時代と同じではない。このように平凡の概念は時代や地域の習慣によって異なるものだ。
自転・公転する地球に重力があり、太陽と月が私たちの周囲を回る。それによって昼と夜が来ることや、人間の眼が二つほぼシンメトリックに付いていることなど、すべてが当たり前である。見慣れていると人はその対象に何らの驚異の念を感じない。オトラントの城に突如落下した巨大な鎧兜のように、現実が非現実によって引き裂かれない限りは。<広告⏬>