【マンディアルグ】『大理石』証人のささやかな錬金夢(1)|夢と死、そして花の超現実
オニロスコピーとは何か
夢を通じた錬金術――それが「オニロスコピー(oniroscopie)」と呼ばれるものらしい。フランス幻想文学の異才アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグによる『大理石』(澁澤龍彦訳)第四部「証人のささやかな錬金夢(Petite oniroscopie du témoin)」では、主人公フェレオル・ビュックが海辺の孤城に滞在し、夜ごとに見た夢を記録する形式で物語が展開される。
夢とは本来、目覚めと同時に消えていく脆い泡のようなもの。しかしフェレオルは、まるで夢の化石を掘り起こすかのように、それらの幻視を枕元の筆記具で書き留めた。これは、漱石の『夢十夜』にも通じる構造だ。
バルドゥ状態としての夢
夢と覚醒の狭間にある意識――この中間的な状態は、シュルレアリスムの画家サルバドール・ダリが好んで描いた曖昧な時間帯でもある。さらには、チベット仏教における「バルドゥ(中有)」と比較することもできる。
マンディアルグの描く夢もまた、言葉の魔術によって奇怪さが増幅され、読者を現実から引き剥がす装置となっている。
夢の一例:花となる身体
以下に紹介するのは、ビュックが体験した夢の一つ。
- 彼はイタリアの砂浜で横たわり、太陽に焼かれている。
- だが体をまったく動かすことができない。
- 目だけが動かせる状態で、なぜ自分がこのような硬直状態にあるのかと不思議がる。
- やがて、彼の肉体は砂浜に打ち上げられた流木のように、木質化していた。
- そこからチクチクとした感覚が芽生え、花のつぼみが全身から噴き出してくる。
- そして、自身が花に覆われた存在になったことを知った瞬間に、目が覚めた。
死の夢としての暗喩|チカエ・バルドゥとの関連
この夢は明らかに臨死体験、あるいは死後世界の象徴を帯びている。特に、チベット仏教における「チカエ・バルドゥ(死の瞬間の中有)」との類似性が濃厚だ。
身体の硬直、不動、そして復活の兆しとして花が咲く――それは死した肉体が仏性へと変容する過程の象徴とも読める。
ミイラと花、祝福の身体
もうひとつの象徴として、木と化した身体に咲き誇る花は、死者への祝福や守護のイメージを帯びる。包帯に包まれたエジプトのミイラ、あるいはオシリス神の復活儀礼とも重なる。
花とは生の象徴であり、木とは死の比喩だ。その二つが一つの夢で融合するという点において、マンディアルグは死と再生、そして転生の神秘を超現実的な絵画のように描いている。
解釈は読者の手に委ねられる
マンディアルグの文章には註釈もなく、明確な解説も存在しない。読者は言葉の迷宮をさまよい、夢の背後に潜む象徴を自ら解釈しなければならないのだ。
「夢」とは、単なる脳の偶発的な産物ではない――それは死と生のあわいを横断する「錬金術」そのものである。
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