黙示録
ヨハネ黙示録の”ユーフラテス川に繋がれている4人の天使”、”地と海に4方の風が吹き付けないようにしている4人の天使”が一体何を指すのか、ずっと考えてきたが、それがわかったので書く。
ヨハネが生きていた時代に知られていなかった地球の磁力は、太陽風と宇宙線から生き物と地と海を守っている。このことについては堂々と論じられており、わかりやすい動画もある。このバリヤーが”4人の天使”で、ヨハネは啓示によって世界の終わりを知らされたのだ。
ホメロス
原始キリスト教徒のみならずヘシオドスやホメロスやプラトンの説く「神々を敬え」という気持ち、これは古代人が感覚していた宇宙線および太陽の恐るべき力に対して、単純に生命が感じる恐怖である。
地磁気は地球のみならず周囲の宇宙空間にまで及び、地球上の生き物は全てこの力を感覚するという。ただ人間のみがこの感覚を失った。さて人間と動物の違いは、造物主への叛逆である。この叛逆を罪と呼ぶのならば、ただ人間だけが罪を犯している。
全ての生き物は磁気を感覚し磁気に従って生きている。磁気は実は古代の預言者たちが”スピリット”と呼んでいた力である。何となればこれは目に見えず、かつ科学的に知られていなかったからである。
知覚
前も書いたように、真実は感覚にある。感覚できないものは真実になりえない。はたして想像で作り上げただけのものが現実に存在できるだろうか?否である。想像したところでそれを知ったと言えるだろうか。
違う。仏教の開祖である尊師も、その教えの後継者チベット密教も、完全なブッダは人体に顕現されていると説く。真理は体現されるもので議論されるものではない。すなわち感覚されなければならない。
ダビデの詩に「どこへ行けばあなたのスピリットから逃げられるだろうか」「私が目を覚ますとあなたは共にいる」とある。ダビデが感覚しているのは地球の磁気である。
ヨーガ行者が自己の体の中に働いている力に思念を凝らすのなら、細胞の一個一個を構成する原子の力を感覚する。尊師が呼ぶ「神通力」とは地磁気のことである。何となれば幻想上の産物など存在せず、あるのは実際にある力なのであるから。
箴言
瞑想を行うとき自己が地球上にいると感ずるだけではまだ足りない。そのような意識は人間だけが持つのである。あらゆる生命は宇宙空間の中にある。この過激な、物凄い、恐ろしい巨大な力の中に。
「神への恐れは知識の初め」ソロモンはそう言う。しかし感覚できない神などいないも同然である。まずはこの宇宙を支配している力を感覚せねば、知識の初めには至らないのだと言えよう。
何もかもが余計である。自然にあるもの以外は。余計なことを行い、余計なことを考え、余計なことを喋る。余計なことを考え出すから、ますます無駄な用に煩わされる。最後に余計なものは全て消え去るだろうが、そんなことは宇宙にとって何でもない。