言葉とは何か
言葉とは何だろうか?バイブル的には「言(ロゴス)」によって世界が創造された。魂を生かす糧であり、神の子そのものでもある。一方、地上的には人間の口から発せられる音、鼓膜に届く空気の振動に過ぎない。
言葉は音声だけでなく、文字として紙や画面に現れる。今回は話が逸れるので、手話や信号などの非言語的手段は除外する。
食べ物に美味い不味いがあるように、言葉にも上質と低劣がある。そして「完全な言葉(Logos teleios)」という究極の概念も存在する。それは、あのヘルメス・トリスメギストスの語る言葉だ。
「全」と「1」──人間の思考の限界
全(ト・パン)とは
「全」とは「すべて」あるいは「全体」と訳される。しかし、それを真に理解する者がどれほどいるだろう?
全は「1」と不可分の関係にある。だが、その「1」とは何か。我々の頭の中に「1」という数字のイデアがある限り、それは確かに存在しているのだ。
多様化する心と失われた「1」
人間には理性(ヌース)のかけらがあるからこそ、「1」や「全」を認識しようとする。しかし、我々の心は日々、無数の情報に分断され、1どころか5億の断片に囚われている。
全(ト・パン)の正体
では、「全」とは何か。
それは地の中心にあるもの、地上の四方、天の彼方、星々、そして失われた第5元素とされたエーテル。
エーテルは今や誰も信じないが、古代では「永遠の場所」に属するものだった。世界が動いている以上、何かがそれを支えている。その動かぬ「場所」こそが全なのだ。
全てはこの「全」の中にあり、それ以外にあるものは存在しない。もしあるならば、「全」は部分となり、「1」は崩れ、「世界」は分解されてしまう。
「1」とは何か
「1」の次に「2」、その次に「3」が来る。この1・2・3はプラトンにおいて非常に重要な数字である。
宗教的解釈:三位一体
聖書的には「1」は父なる神、「2」は子(ロゴス)、「3」は聖霊。つまり三位一体をなす。
アリストテレスの運動理論
アリストテレスの理論では、運動の最初の原点、つまり「動かすもの」は、他のものによって動かされることがない一者でなければならない。
それは動かない「点」である。この点が複数であるならば、起点は多数となり、運動の統一性が崩れてしまう。
よって運動の原点は「1点」でなければならず、その動きは「回転」であり、「円」であり、最終的には「車輪」というイメージに行き着く。
まとめ:酒でも飲んで忘れよう
読みたい本がなかった。聞きたい言葉も見つからなかった。だから自分で書いてみた。
偉そうな学者、気取った作家。語っているのは中身のない文章。多弁・空論・複雑な論理・洒落た虚飾・上から目線の知識……もううんざりだ。
久々に本気で頭を使ったら、頭痛がしてきた。そろそろテキーラでも飲んで、ゲームでもしようじゃないか。🌀
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