概要
『普勧坐禅儀』は道元禅師(以下道元・敬称省略)中国から帰国してまず著した本。本といえ小さな巻物で漢文で書かれた国宝である。弘法大師の『聾瞽指帰』的意義を持つ、日本仏教の現状を打開するパンクロック宣言のようなものだと言える。
だが平安時代初期の恐ろしく難解な文章の『聾瞽指帰』と比べ鎌倉時代のこれはまだ読みやすく、古文の知識があれば解読できなくもない。日本の禅宗の本は『正法眼蔵』はじめすべて中国の禅語録からの写しであることは何度も書いた。
従って突き詰めて述べれば『普勧坐禅儀』にもまた新しいことは一切書いてないと言って良い。今回考えたいのはこの本を書くことによって道元が何を伝えたかったのか、日本人の求道者に何を求めたのかということである。
座禅
道元の教えの主眼である只管打坐、ただひたすらに座ること、について書かれたこの本であるが、弘法大師が密教の真髄を求めて中国で教えを受けてきたように、道元が中国で受けたのは禅宗である。中国の禅僧への批判も多く著作では見られるし、日本の密教への嫌悪も明から様な道元。
それは当時の中国や日本の風潮への嫌悪である。型にはまった実践への反抗である。無意味な言葉の遊びに熱中し問答で名利を漁る中国人、結界に閉じこもり万人を排斥し高慢な知識を振りかざす密教、何万遍と南無阿弥陀仏を唱える回数で功徳を計る白痴のような浄土教。
彼はそれらすべてに唾を吐き、ただ座れ、と説く。その意図とは何か。
座布
さてこの本を読めばその日から座禅をすることができる。親切にそのやり方が書かれているからだ。あえて必要なものと言えば「座布」と呼ばれる布団すなわち座布団である。これは意外と高く、アマゾンで売ってるのは5千円ほどする。
筆者はかなり迷ってから購入したが、これは絶対に買うべきである。これに座って道元の言う通りに座禅を始めれば、一週間もしないうちに能力が開発され始める。心の安らぎが得られ、「龍の水を得るが如く、虎の山に依るに似たり」(これも中国の言葉)の力が目覚める。
大げさに聞こえるかもしれないが、実際の効果である。別に最初から何時間も座る必要はない。線香を灯しながら少しづつ時間を長くしていく。筆者の場合は腿足が太く、仏像のような結跏趺坐ができない。それならば半跏趺坐で良いと書かれている。
両手は真言宗の薬師法界定印と上下が反対で右手が下だが、これは『摩訶止観』にあるやり方で、こちらは眼を閉じよと書かれているが道元では眼を開けろと言う。これは居眠りを防止するためだと思われる。
また口を閉じて舌を上顎に付けよと説いているのは、人間どうしてもじっと座っていると独り言を言いたくなるもので、妄語を防ぎ、完全に身体の働きを静止させるためであると思われる。
まとめ
なぜ座るのか、前にも少し書いたが、この本によれば、お釈迦様は成道の前に7年盤石上に座り、達磨は壁に向かって9年座った。仏祖がそうである以上我々もまたそれに習うべきだ、というのである。
また本を読むのをやめ、問答議論を休止せよと。なぜか。本の文字とは『荘子』によれば古人の食った魚の残骸、骨のようなものだと。なぜ本を読んで他人の食った残りカスの魚の骨を集め、自分自身の魚の肉を食わないのか?
座禅とはそう言うことである。決して中国人がするような言葉の遊びではない。本来の面目とは、釈迦牟尼仏とは一体誰か。只管に参禅求道すべし。