概要
例のごとく『抱朴子』についての詳細はwikipediaに丸投げする。今回は岩波文庫と明徳出版社の中国古典新書に出ている本のレビューとなる。
”道教”のwikiには典籍欄にこの書が大々的に載る。ということは、道教に興味を持った限りは目を通さねばならぬ、と思い立った。
『老子』と『荘子』はすでに読んだ。よし次はこれだ、というわけである。
文庫
ちなみに先に明徳出版社の方を読んだのだが、こちらは解説は親切なものの全訳ではない。なかなか気に入ったため、今度は岩波文庫の復刻版を1700円も払って古書を購入した。
全訳とはいえこちらも内篇のみである。外篇は儒家色が濃いのだとのこと。さて内篇全訳は良いのだが後ろにまとめて注釈が付いているので、全部すっ飛ばして本文ばかりを読んで行く。
復刻版にありがちな蟻のような文字ではなく、意外に現代的な大きい印刷。なぜだろう?ややこしすぎる本文を少しでも読みやすくするためか、印刷の予算が多かったためか?
岩波文庫の結論:読みやすいけど意味不明。中国古典新書:独断と偏見の多い余計な解説よりもっと本文を増やしてもらいたい。
道教
最初に”道教”について整理していきたい。”道”とは老子道徳経に説かれるところの道を指し、儒教や仏教の書で使用される”道”とは異なる哲学的な専門用語としよう。
さらに例え話や豊富な見解で徹底的に辟支仏的に”道”を論じたのが『荘子』であるとしよう。そして哲学的専門用語である”道”を理解・実践する哲学者たちのことを”道家”と称したとする。
このように”道”そのものは宗教の名ではない。道についての教えを宗教化したのは後の世代である。すなわち老子を”教祖”とした”道教”とするに至る。
宗教
宗教というものは常に法外なものを夢見るものである。極楽浄土や永遠の命、等々。道教の夢とはやはり不老不死であった。
西洋の錬金術のような非現実的な秘薬の製造と調達。仙人と呼ばれる超人。何も食わないのに健康で、空を飛び、水の上を歩き、火の中をくぐる。
『抱朴子』はありえないけど面白い本だ。漢字で書かれた奇怪な動植物や鬼神精霊、地名。
道
最後に”道”についてまともに考えてみたい。そしてこの記事を終わろうと思う。
道とは、何もしないことである。何もしないとは、浮浪者的な人間を想起させる。浮浪者は尊敬されない。有道の人は尊敬を求めない。だから道に叶う。
道とは、何も考えないことである。何も考えないとは、白痴を想起させる。白痴は尊敬されない。有道の人は尊敬を求めない。だから道に叶う。
こんなゴミみたいな人間になること、それが”道”である。