山田詠美
なぜこの小説家の名を知っているのか:それは34年ほど前にこれを可愛い女友達に貸してその感想を聞いたことがあったから。従って再読したのも34年ぶりということになる。
感想も全く当時とは違うであろうけれども、そもそも何にも感じなかった。文庫本の見開きを見ると昭和60年に立派な賞を取っている。ということはこの小説は一般的な基準でいう「大した作品」ということになるのだろう。
この作者のことも何も知らないし、ネットで調べようとも知ろうとも思わなかった。
黒人の恋人
なぜ黒人との情事を主題としたのか。わからない。文章の中身はたくさんの和製英語で埋まり、カタカナだらけ、これでも日本人かと思わされる。ひと段落読んだら宇治拾遺物語を一話読んで汚れを落としたくなる、そんな言語で成立している物語(もっともこの小説を物語と呼ぶことが許されるならばの話)である。
約3年半ぶりの投稿なのでなるべく礼儀正しい無難な内容にしたかったのであるが、それだとサーバー代を年間払って自分のサイトを持っている意味がないからだ。
まず黒人の恋人の名前が"スプーン"だと。あれ、あのしゃもじっていうか、匙のことだ。アメリカ文化によほどやられている。大昔日本人が中国文化に染まっていたように。
そして主人公の女の名は(どうか笑わないでほしい)"キム"。韓国人ではない、おそらくこれもアメリカっぽい名前にしたつもりであろう。
暴力、性愛
sexと書きづらいので性愛などと見出しを書いたけれども、読んだ感じとしてはひたすら下品な肉体関係を数ヶ月続けて終いにはそれが真の愛情と化した、という内容だったような気がする。
すごく短いので半日もあればきっと読めると思う。もし間違ってこの本を手にしたならば、さっさと読み終えて別なもっと読む意義のある書物に時間を使うべきである。
まとめ
ところで何でまたこんな小説を私は可愛い女友達に貸して、さらに感想まで聞いたのであろうか?その子は恋人の仲良しで友達の愛人だった。本を読んだ頃恋人は私の元にはいなかったが、たまにその子は訪ねてきて近況を語ったりしたのだった。
小説の中でキムの姉御に当たる女とスプーンが情事を行っているところへ、キムが乗り込んでいって修羅場となる場面がある。キザかもしれないが恐らく本命の彼女ではない立場にいるその子を、この小説の主人公に重ね合わせて励ましてやりたかったのかもしれない。
今だから白状する。私はどんなにその子とヤリたかったことか。ただ恋人の仲良しであるということと、友達の愛人であるということだけが、私にブレーキをかけさせ理性を与えたのであった。一度などリアルな夢まで見た。その夢の内容を今でも覚えている。
また数えるくらいしかやってないと思うが、その子をオカズにし自慰を行った。ジョルジュ・バタイユの小説のように四畳半の畳の上を転げ回った。
ジョルジュ・バタイユ【眼球譚】〜狂気のエロティシズム小説を紹介
また現在でも恋人とその子でthreesomeを行うことを毎日夢想し続けている。じゃあ、レッツ・メイクラヴ!!(笑)