【エドガー・アラン・ポー】「アーサー・ゴードン・ピムの物語」徹底解説|漂流・反乱・人肉・幻の南極まで

小説

「アーサー・ゴードン・ピムの物語」とは

エドガー・アラン・ポーの『ナンタケット島出身アーサー・ゴードン・ピムの物語』は、数多くの短編で知られるポーにあって、ほとんど唯一といえる長編小説である。300ページ近くの分量がありながら、冗長さを感じさせないスリリングな展開、異様なイメージ、そして終盤に至っては異界のヴィジョンまでが現れ、まさに「奇怪」の限りを尽くす怪作だ。

本作は1838年にアメリカで出版された。ポーは当初、「実話」として発表しようとしたらしいが、明らかにフィクションであるため読者に混乱を与えたとも言われている。内容としては“海洋冒険譚”でありながら、その枠にとどまらず、漂流・反乱・生き埋め・幻覚・人肉・幻の南極と、ポーが得意とする恐怖のレパートリーが一冊の中にすべて詰め込まれている。

登場人物と物語の導入

語り手であり主人公のアーサー・ゴードン・ピムは、ナンタケット島の出身で、若くして冒険心に駆られていた。親友であるオーガスタス・バーナードは、グランプス号の船長の息子であり、父の目を盗んでアーサーを航海に連れて行こうと画策する。

その方法は、なんとアーサーを船に「密航」させるという大胆なものだった。彼は物資置き場の奥に隠され、わずかな水と食料だけで出航に備える。しかし、彼の旅はこの時点ですでに“死の序章”を迎えていたのである。

船出前の酒宴と事故

本筋に入る前のプロローグとして、アーサーとオーガスタスが夜中に小型のヨットで出航し、嵐に巻き込まれて遭難するシーンが描かれる。これは本作の持つ“現実感の崩壊”を象徴するような挿話である。二人は無謀にも酔っ払った状態で海へ出てしまい、漂流の果てに救助される。

命からがら戻った後、アーサーは予定通りグランプス号に潜入し、いよいよ本格的な物語が始まる。しかしこの時点で、読者にはすでに「この物語は普通ではない」という予感が刻み込まれている。

反乱と殺戮:最初の地獄

船に乗って間もなく、事態は急転する。オーガスタスの父である船長は、船内で突如起きた暴動によって制圧されてしまうのだ。首謀者は一等航海士と黒人の料理人らで、乗組員の多くが首を刎ねられ、次々と海へと投げ込まれる。鮮血と死体が船を満たし、海は「殺された者の墓場」となる。

この時、アーサーはまだ船底の暗い倉庫に隠れており、飢えと渇きに苦しみながら、死の寸前であった。彼がどれほどの時間をそこですごしたかは明言されないが、毒ガス、糞尿、食料の腐敗が彼を蝕み、まるで「生きたままの埋葬」のような状況が描かれている。

辛くも様子を見に来たオーガスタスの助けにより救出されたアーサーは、オーガスタス、そして新たな仲間であるダーク・ピーターズとともに、反乱軍を排除する逆襲の計画を立てる。

死者の復活:幻術としての恐怖

3人が考えたのは、恐怖と迷信を利用する策略だった。嵐の夜に死体を装って反乱者を驚かせ、心理的な隙をつくというアイディアである。実際にその夜、海に浮かぶ死体はひどく膨張し、恐ろしい形相をしていた。その姿にそっくりになるようアーサーは死体に扮し、血の気の失せた肌、泡を吹いた口元まで再現する。

暗闇の中、突如船室に立ち現れた“死人”を見て、反乱者たちは恐怖に震える。その中で船を取り戻す計画が一気に進むのである。

極限の連鎖:漂流と人肉

だが、これで終わらないのがポーの小説である。反乱者たちを制圧した後も、グランプス号は嵐に見舞われ、ついには遭難。数日間の漂流の果て、食料も水も尽き、乗員たちは「最後の選択」に追い込まれる。

いわゆる「人肉食」がこの作品には描かれており、くじ引きで選ばれた仲間のひとりが、他の飢えた人間たちの命を繋ぐ糧となる。アーサーはこの出来事を淡々と記述するが、そこには狂気と諦念がにじみ出ている。

この「生きるために殺す」行為は、のちの作家メルヴィルやロンドン、さらには20世紀のサバイバル小説に大きな影響を与えたと言われている。

そして南極へ:異界への入り口

さらに物語は驚くべき展開を見せる。救助されたアーサーたちは、新たな船で南極を目指す探検隊に参加することになる。そこで彼らは、未知の島に住む白い肌の人間たちと遭遇し、さらに「巨大な白い存在」に導かれるように氷の迷宮へと入っていく。

そして、あまりに唐突かつ詩的な最終ページ——白く巨大な影に出会ったところで、物語は終わる。読者は呆然としながらページを閉じるしかない。

ポー作品としての魅力

この『アーサー・ゴードン・ピムの物語』は、ホラー小説としても冒険小説としても成立している一方、終盤では幻想文学、あるいは哲学的黙示録のような趣きすら帯びてくる。

本作の持つ「地獄のような現実」と「詩的な異界」が入り混じる構造は、ウィリアム・ホープ・ホジスンやH.P.ラヴクラフトなど、後世の幻想文学者に多大な影響を与えた。

まとめ:ポーの長編は読むべきか?

答えはもちろんYesだ。ただし、「面白いか?」と聞かれれば一言で返すのは難しい。読後感はずっしりと重く、爽快な冒険譚を求めている読者には少し酷かもしれない。しかし、ポーという作家の精神の奥底を覗き見たいなら、この小説は格好の入口である。

ポーの小説の中でも、この作品はもっとも「体験する」読書であり、ひとつの悪夢を航海するような読書体験になるだろう。

▼続きはこちら→アーサー・ゴードン・ピムの物語(後編)──死体、幻覚、そして白き神の出現

▼ポー作品のまとめページはこちら→【エドガー・アラン・ポー短編作品】オリジナル・レビューまとめ

ポオ小説全集 2 (創元推理文庫 522-2)

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