【万葉集の宇宙観】柿本人麻呂「ひむがしの 野にかげろひの…」の空間詩学と文明認識
1. はじめに──記憶の底に棲む和歌
高校教育を通じて、日本人の多くはある和歌を知らぬうちに記憶している。
ひむがしの 野にかげろひの 立つ見えて
かへり見すれば 月かたぶきぬ(柿本人麻呂)
万葉集に収められたこの短歌は、しばしば教科書に掲載され、我々の意識の片隅に記憶される。しかし、齢を重ねた今、ふと夜更けにこの和歌が脳裏を過(よ)ぎったとき、その意味の奥行きが改めて問いかけてきたのだ。
2. 和歌における空間認識──東と西の詩学
この和歌は、明確な視線の転換を中心に据えている。まず「ひむがし」、すなわち東の野に陽炎が立つ様を認め、その後に「かへり見すれば」西の空に沈みゆく月を捉える。
この詩的構造は、視線の往復を通じて時間と空間、そして日と月という二大天体の遷移を短い31音節の中に封じ込める。日本の古典和歌において、ここまで明瞭に方位感覚と天体の配置を取り入れた例は稀である。柿本人麻呂の作品は、単なる抒情にとどまらず、空間知覚の詩的構築として捉えるべきであろう。
3. 文明比較と日本文化の自己省察
筆者自身、日本文化に対し長らくある種の軽蔑的視線を抱いていた。エジプト、メソポタミア、ギリシャ、イスラエル──これら古代文明における建築的・言語的・宗教的達成に比し、日本の木造建築、外来文字依存、神話体系の脆弱性は、いかにも未熟に映った。
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古代エジプトでは紀元前3000年の時点で象形文字が石に刻まれ、魂の不滅を信じた宗教体系が整っていた。
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旧約の預言者モーセは、道徳法と神の契約の概念を文字に記した。
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プラトンとアリストテレスは、紀元前4世紀に宇宙と存在の本質を言語化し、論理体系を残した。
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プトレマイオスは天文学と地理学において空間を数理的に把握しようとした。
こうした知の体系に比すれば、5〜6世紀に至ってようやく中国から文字を輸入した日本の文化的出発は、歴史の座標軸において明らかに遅れていた。
4. だが、和歌のなかの「宇宙」は存在する
それでも、柿本人麻呂のこの一首は、単なる「遅れた文化」による産物ではない。むしろ、知の体系化よりも、瞬間の美と感覚の濃密さを求めた日本固有の表現形式がここにある。
朝霧立つ東の野に陽炎が現れ、背後をふり返れば西の空に月が傾く──このわずか数秒の視覚的変化を詩に昇華し、宇宙的な時の流れの詩的感受に仕立て上げたのである。
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日本文化は石に刻まず、木と声で記憶した。
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天文表を描かず、空を仰ぎ、月と日の移ろいを「ことば」で描いた。
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プラトンが「イデアの世界」を構築したなら、人麻呂は「いま・ここ」の世界を詠んだ。
5. 阿騎野(あきの)という聖地の記憶
この歌の舞台は大和国・阿騎野(現在の奈良県宇陀市)。天皇の狩猟に同行した官人である人麻呂は、野辺に立ち、東に昇る陽光と西に沈む月影の交錯を見た。その一瞬に立ち会い、それを和歌として定着させた。
プトレマイオスのように星図を描く知はなかったかもしれない。だが、太陽と月の動き、東と西の方位、天頂と地平の対応は、身体感覚として鋭く捉えられていたはずである。
6. 終わりに──詩は救済たりうるか?
この和歌が、絶望の淵に立つ人間にとって「救い」たりうるかと問われれば、おそらく否である。だが、沈黙と孤独の只中にある心を、ふと過る風のように慰めるものとはなりうる。
人麻呂の詠んだ一瞬の宇宙。それは知の体系ではないが、確かに見る者の視線と心の動きを詩としてとどめた、古代日本人の天文学=詩学の萌芽といえる。
「ひむがしの 野にかげろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ」
それは、世界を二つの方向から同時に見る、日本的宇宙感覚の始源である。
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