【ゴヤ】闘牛士・巨人・マハたち──狂気とエロスの画家、その魅力と代表作を探る
フランシスコ・デ・ゴヤ(1746–1828)は、スペインが生んだ最も異端で力強い画家のひとりです。官能と暴力、神話と病、幻想と現実――その筆致はまるで世界の裏側を可視化するかのよう。
この記事では、ゴヤの代表作とともに、彼が描いた人間の深淵と狂気をたっぷりご紹介します。
自画像(1815年):沈黙する狂気の顔
46歳で失聴したゴヤは、音のない世界の中で“見える”ものを描くようになります。1815年の自画像には、生者とも死者ともつかぬ視線でこちらを見つめる孤独が滲んでいます。
耳を失ってなお、幻想と現実の狭間に立ち続けた稀有な画家。
闘牛士:エロスと死の交差点
版画シリーズ「闘牛士」は、スペインの熱と狂気を写したゴヤの代表的連作。
闘牛とは、命を賭けた演技であり、エロスとタナトス(死)の共演。肉体が躍動する瞬間をゴヤは暴力的なまでに美しく捉えました。
📚参考: 【マンディアルグ】『城の中のイギリス人』レビュー ジョルジュ・バタイユ『眼球譚』解説 巨人:孤独の象徴
「巨人」では、人間社会を踏みつける存在であると同時に、どこか寂しげに背を向ける哀しき化け物として描かれます。
人間に受け入れられず、理解もされず、ただ“そこにいる”という孤独。まさにゴヤ的な存在感。
マハたち:服の有無がもたらすエロティシズム
「着衣のマハ」と「裸のマハ」。全く同じポーズで描かれた2つの肖像は、見る者に“視るとは何か”を問うてきます。
単なるヌードではない、視線のエロティシズム。ローズを描くディカプリオの姿が思い出されるのも偶然ではないでしょう。
黒い絵:サトゥルヌス、女神たち、決闘、犬……
晩年ゴヤが私邸に直接描いた「黒い絵」シリーズ(全14点)は、芸術というよりも呪術に近い。
サトゥルヌス
「我が子を喰うサトゥルヌス」は、土星の神が息子をむさぼる神話画。暴力・狂気・父権の破綻すべてが詰まった一枚。
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ギリシャ神話の“運命を司る三女神”が、ゴヤの手では不気味に浮遊する黒い存在に変貌。もう希望など存在しない。
棍棒での決闘
地中に足を埋めたまま棍棒で殴り合う2人の男。逃げ場のない闘争と、その虚しさが詰まった絵。
魔女の夜宴
黒山羊=悪魔を中心に開かれる「サバト」。中世ヨーロッパのオカルティズムの記憶がここに。
砂に埋もれる犬
最も抽象的で、最も絶望的。顔だけを覗かせる犬は、まるで世界の重圧に押し潰されかけているようです。
自慰する男を嘲る2人の女
自尊心を打ち砕くこの一枚。笑いとは残酷で、時に性的な優位を誇示する暴力なのだと教えてくれる。
まとめ:ゴヤが見ていたもの
ゴヤは美や善を描く画家ではありませんでした。彼は「世界の裏側」に潜む暴力と欺瞞、そして笑えないエロスを凝視し、それを表現する力を持った数少ない芸術家のひとりです。
彼の悪魔や巨人たちは、現実そのものを描いているのかもしれません。新聞の“重大ニュース”などよりもずっと真実に近い。
ゴヤは見た。私たちの目を通して。
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