ボッシュとピエロ・ディ・コジモ|ルネサンス異端画家の幻想と共鳴

疑似学術地帯

【ルネサンスの奇想】ヒエロニムス・ボッシュとピエロ・ディ・コジモ|異端と幻想の肖像

ルネサンスというと、レオナルドやミケランジェロのような“整った理想美”のイメージが強いが、その裏で異端的な幻想世界を描いた画家たちもいた。今回はその中から、ピエロ・ディ・コジモとヒエロニムス・ボッシュという二人の画家を取り上げたい。

ピエロ・ディ・コジモと「シモネッタ・ヴェスプッチの肖像」

この女性像は、イタリアの奇才ピエロ・ディ・コジモ(1462–1521)による「シモネッタ・ヴェスプッチの肖像」。筆者がこの絵に出会ったのは、澁澤龍彦の著書『幻想の肖像』においてだった。

澁澤によれば、ディ・コジモは人嫌いで引きこもり、掃除もせず、食事はゆで卵ばかりという偏屈な芸術家。自宅階段の下で孤独死したというエピソードが語られている。

現代ではそれほど異常とはされない生活スタイルだが、インターネットのないルネサンス時代にはかなり風変わりな存在だっただろう。そんな孤独な彼が、若くして亡くなった絶世の美女・シモネッタを、青春の記憶から召喚するように描いた一枚。それはまさに、私的な神話とでも呼びたくなるような作品だ。

ヒエロニムス・ボッシュと「悦楽の園」

一方こちらは、オランダの奇想画家ヒエロニムス・ボッシュ(1450–1516)による「悦楽の園」。三連祭壇画として制作され、中央には幻想的で倒錯的な楽園が広がる。

赤いエビのような植物から実った果実の中で、若い男女が裸で愛を語り合っている――そんな描写の一部が、バンドDead Can Danceのアルバム『AION』のジャケットに引用されていることでも知られている。

ヘルメス思想とAION

“AION(アイオン)”とは、ヘルメス・トリスメギストス文書に登場する神的階層のひとつ。「神 → アイオン → コスモス → 時間 → 生成」という順序で宇宙を構成するという、ネオプラトニズム的世界観を示す語である。

この言葉が意味する“永遠”と、ボッシュが描いた果実のなかの恋人たちは、不思議と響き合っている。愛、欲望、再生、象徴…彼の絵は黙示録的でありながら、どこか現代的な夢の断片にも見える。

果物のなかの恋人と詩人

中央パネルの下には、果実の殻に閉じ込められたような中年男性が佇んでいる。表情は無表情、まるで空想の果てに現れた恋人たちをただ見つめる詩人のよう。

筆者がかつてこの絵をピエロ・ディ・コジモの作と誤認していたのも無理はない。どこか“永遠に女性を見つめ続ける者”というモチーフが、両者の精神性に通底しているのだ。

共通する「幻想」の気配

ディ・コジモが一人の女性を“神聖視”したように、ボッシュもまた人間の欲望や愛を、異形と象徴でコラージュした。

両者はルネサンスの主流からは外れた存在かもしれない。しかし、だからこそ浮かび上がる“異端の真実”がある。美や信仰の表層ではなく、もっと個人的で、もっと夢のような場所へと降りていく。

それがルネサンス芸術の「影の肖像」であり、見る者に強烈な記憶を刻む理由ではないだろうか。

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