【ATALANTA FUGIENS】EMBLEMA VII.
――若い鷹は巣から飛び立とうとして、再び巣に落ちる
“Fit pullus a nido volans, qui iterum cadit in nidum.”
巣と鷹の寓意
この図像では、高山の頂にある巣の中に二羽の鷹の雛が描かれている。一羽は翼が発達し、今まさに巣から飛び立とうとする。だがもう一羽は発育が遅れ、飛ぼうとする雛の足にしがみつく。その重みのせいで、飛ぼうとした鷹も巣へと引き戻されてしまう。
飛び立つ意思と、それを引き止める存在――この対比が本図の核である。
象徴としての鷹
鷹は古代よりゼウスの鳥とされ、高貴な象徴を担う。群れず、天高く舞うその姿は理性や天才のイメージと重なる。ウィリアム・ブレイクの『地獄の箴言』にも、「君が鷹を見るとき、君は天才の一部を見るのだ」とある。
この寓話における鷹は、おそらく精神(spirit)と肉体(body)の二重構造を象徴しているのだろう。
精神と肉体の引力
飛び立とうとする一羽は、理性や魂の高みを目指す精神の象徴。一方、それを引き戻すもう一羽は、未発達な肉体、あるいは本能や欲望の象徴と捉えられる。
精神は無限の高みに向かおうとするが、肉体は生理的欲求、苦痛、快楽、そして死の重みによって、それを地に縛りつけようとする。飛翔と墜落の間で、魂は葛藤する。
なぜ両者とも「鷹」なのか?
疑問が残るのは、なぜその“引き戻す存在”もまた鷹で描かれているのか、という点である。もし両者がともに十分に成熟し、自由に飛べるようになったなら、精神の鷹は足を引かれることなく自由に空を飛ぶことができるだろう。
そして肉体の鷹もまた、精神に従い、空を舞うことが可能になる。肉体がスピリチュアルな性質を帯び、重力の束縛を越えて空気の中に生きる――それは肉体が“浄化”され、精神と一致した状態を意味する。
結びにかえて
このエンブレムは、魂と身体のせめぎ合いという人間の根源的問題を視覚的に表現している。成熟した精神は飛び立ちたがるが、未成熟な肉体がそれを阻む。だが、やがて両者が共に飛べる日が来るかもしれない。そのとき、魂と身体は対立ではなく調和のうちに舞うだろう。
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