【ATALANTA FUGIENS】EMBLEMA V.
―「女の胸に蝦蟇を置け。授乳させ、女が死に、蝦蟇が乳で肥え太るように。」
“Appone mulieri super mammas bufonem, ut ablactet eum,
et moriatur mulier, sitque bufo grossus de lacte.”
授乳の寓意
乳房とは本来、赤子に命の糧を与える器官である。母親は己の身体から生み出された乳で、無力な存在に力を注ぐ。しかし、ここで与えられるのは赤子ではなく蝦蟇(ヒキガエル)だ。しかも女はその毒により死ぬ。これは寓意である。
命を与えるはずの乳が、他の命に吸われ、己の命を蝕まれる――この倒錯は、単なる異常事態ではなく、人間存在に潜むある“宿命”を象徴している。
象徴としての乳房と蝦蟇
人間の乳房は、養育のためだけではなく、性的対象としても強烈な象徴を帯びている。男は女の乳に欲望を抱く。視覚的にも触覚的にも、それは生への衝動=エロスの象徴だ。
この乳を吸う蝦蟇は、グロテスクな「情欲」の化身である。あるいはそれは抑えがたい性的衝動、性的倒錯、もしくは純粋な興奮の象徴であろう。女はそれを拒むこともできず、むしろ己の肉体をもってそれに栄養を与え続ける。そして死ぬ。――この構図は、欲望に身を投じる者の姿に他ならない。
欲望と死、そして繁殖の哲学
蝦蟇に乳を与えるとは、欲望に対して自己を差し出す行為である。しかもそれは死に至るまで、命を削って情欲を育てる行為である。生殖も同様だ。性的快楽の結果、命が芽生えるが、その一方で母体は時間と体力、時に命そのものを差し出す。
ここで象徴されているのは、命の連鎖と代償――情欲という盲目の力が、人を突き動かし、命を循環させるが、それは美しいだけではなく、破壊的でもあるという事実である。
哲学的な射精――情欲の炎とグノーシスの照明
ブレイクもチベット密教も、「欲望を否定すること」が悟りではないと説いた。情欲は否定すべきものではなく、乗り越えるべき“炎”である。燃え尽きるまで燃えさせよ――それが象徴の核だ。
この「授乳による死」は、つまり「情欲の完全燃焼」を意味する。欲望が極限に達し、もはや与えるものも、燃えるものも何もなくなったとき、情欲は静かに鎮火する。そこに現れるのは、悟りの前の虚無、あるいは再誕の契機である。
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