【ダンテの地獄巡り】COVID-19パンデミックに寄せて──日本編
ダンテと「下への旅」
ダンテの『神曲』地獄篇――それは、まるで呪詛が建築したかのような構造を持つ世界。読者は記憶しているだろう、「汝ここに入る者は一切の希望を捨てよ」の門から始まり、詩人はローマの叡智ウェルギリウスに導かれて、ただひたすら〈下へ〉降っていく。
悪とは、上昇するものではない。下へ向かい、堕ちるものだ。階層を一段下るごとに、罰は厳しくなり、悲惨さと恐怖は増すばかり。
地獄全体は、先細りの“漏斗”状である。底に向かって広がりながら深く掘られた“穴”のような形状。それはまさに、悪しき魂たちの〈仮住まい〉にふさわしい場所だが、驚くべきことに、ここでの苦しみは“仮”にすぎない。
歴史が終わり、世界が閉じるその時、人はそれぞれ裁かれ、永劫に続く火と蛆の池へと投げ込まれるという。それが“第二の死”である。
地獄化する日常
ダンテの地獄では、先に進むほど状況は悪化する。それと同じように、私たちの現実もCOVID-19のパンデミック以降、ただひたすら悪くなる一方だ。
「そのうち良くなる」「また日常が戻る」――人々はそう口にする。しかしそれがあるとすれば、〈地獄の底〉を通過した後の話だ。落下する石のように、物事は底にぶつかるまでは止まらない。目を覚まし、楽観を捨てるべき時が来ている。
老後資金の計算には熱心でも、目前の崩壊については無自覚。少しばかり皮肉に聞こえるが、これは現代の精神の真の貧困である。
いまこそ心構えが必要だ。死を覚悟して質素に生きた先人たち――晴れの舞台に「切腹」を選んだ武士のように。覚悟なき者は恥をかく。その恥は、死後までつきまとう。
苦痛とキリスト
COVID-19による死は、肺がんに似ていると言われる。つまり、“溺れるような苦しみ”である。酸素を奪われ、ゆっくりと命が消えていく。
「窒息」「酸欠」と聞けば理性的に処理できそうだが、「絞殺死体」「青く変色した肉体」といった表現が加わると、想像を拒むほどの生々しさが迫ってくる。脳が無意識にシャットダウンするほどの悲惨がそこにある。
この極限の苦痛は、キリストの十字架刑にも通じる。あの処刑がいかに残酷であったか、少しでも医学的に調べれば言葉を失うだろう。十字架の死は、じわじわと呼吸を奪い、肉体を締め上げる死であった。
モルヒネに包まれた眠りのような死――家族に看取られ、葬式で成仏するという幻想は、もはや通用しない。いま、私たちの足元に〈底なしの穴〉が開かれている。
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