ウィリアム・ブレイク『地獄の箴言』を読む|狐とライオンの喩えに秘められた逆説

詩煩悩

ウィリアム・ブレイク『地獄の箴言』より──狐とライオンの寓意を読み解く

「地獄の箴言」とは何か

『地獄の箴言(Proverbs of Hell)』は、18世紀イギリスの詩人・画家ウィリアム・ブレイクによる長詩『天国と地獄の結婚』に収められた、全4プレートにわたる印象的な章です。旧約聖書『箴言』を思わせるスタイルで書かれていますが、内容は型破りで逆説的。表面をなぞるだけでは意味がつかみにくく、むしろ読む者の直感や想像力に訴えかける仕掛けになっています。

狐とライオン──第一の箴言

“The fox provides for himself, but God provides for the lion.”
──「狐は自らのために備えるが、神はライオンのために備える」

狐とライオン。前者は機転と抜け目なさを象徴し、後者は力と威厳の象徴です。狐は常に周囲に目を光らせ、食べ物や住処を自らの知恵で確保します。これは現代人の姿とも重なります。保険、貯金、ローン、キャリア──未来の不安に備えるために、日々努力と計画を重ねて生きているのが「狐」的な生き方でしょう。

一方で、ライオンにはそうした準備は必要ないと言います。なぜなら、その王としての存在自体が、神の意志と庇護によって支えられているからです。ブレイクは、信仰や運命を受け入れ、あえて計算や備えを手放す生き方──「ライオンとして生きる道」があることを示唆しています。

神に委ねるとはどういうことか

この箴言が伝えるのは、単なる運命論ではなく、人生における信頼の転換です。過剰な心配や準備に囚われて生きる狐的知性を超えて、万物の背後にある存在=神(ここではキリスト教的ヤハウェ)に自らの道を委ねること。言い換えれば、物質的保証から精神的確信へと重心を移す試みとも言えるでしょう。

狐と罠──第二の箴言

“The fox condemns the trap, not himself.”
──「狐は罠を責める。自分を責めることはしない」

こちらの箴言はさらに直接的です。失敗や不幸の原因を自分以外の何か──社会や他人、運命──に押しつける心理を風刺しています。現代で言えば、トラブルに直面したときに「環境」や「制度」ばかりを非難し、自らの選択や行動に目を向けようとしない態度でしょう。

ブレイクは、鋭い諷刺を通して、人間の自己責任回避や自己欺瞞をあぶり出します。狐のように小賢しく振る舞う者こそ、自らの影と向き合うべきなのだという警鐘です。

まとめ──狐からライオンへ

ブレイクの箴言に共通しているのは、逆説と諷刺による内省の促しです。狐のような生存戦略も時には必要でしょう。しかし、それがすべてではない。むしろ「ライオンとしての生」を志すことで、恐れや小賢しさから解放されるかもしれません。

人生の罠にかかりそうなとき、それを嘆くだけでなく、自らの内なる「狐」と「ライオン」に耳を傾けてみるのも、現代に生きる私たちにとってブレイクが遺した貴重な知恵なのです。

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