昭和の記憶と貧困化する日本|56歳団塊ジュニアの実感記

プラ保存箱

このサイトは、予告通り今年の6月で終わるらしい。

どうせ終わるなら、最後まで黙っているのも芸がない。

沈みゆく船の甲板で、船乗りが日記をつけるような気分で、思うところを殴り書きして時間を潰そうと思う。

ところで、日本はいつから、こんな国になったんだろう。

筆者は今年56歳。いわゆる団塊ジュニア世代で、親は団塊世代だ。

田舎には子供が溢れていた。同級生は町のあちこちにいて、

あそこの家、あそこの家、あそこの家……挙げだしたらきりがなかった。

今、その町で子供を見かけることはほとんどない。

多くて2、3人。しかも「たまに」だ。

毎朝、通学路が子供で埋まっていた昭和の風景は、いったいどこへ消えたのか。

確かに当時は不便だった。

便所は汲み取り、コンビニなんて影も形もない。

電話は黒いダイヤル式、テレビのチャンネルを回すと「ドスン、ドスン」と音がした。

それでも、そこに暮らす人たちは、今よりずっと幸せだった気がする。

正月になると、ばあちゃんが焼いてくれた切り餅を、練炭炬燵で焼き、納豆をつけて食べた。

あの味はいまでも忘れられない。

朝ごはんは家族みんなで囲んだ。

納豆はひとつの器にまとめて入れ、スプーンですくって分け合う。

冷蔵庫は小さく、買いだめなんてしない。

魚は夕方に魚屋で買い、野菜は畑からばあちゃんが採ってくる。

ポテトチップスの袋はビニールだったが、戸棚にはいつも入っていた。

フルーチェと三ツ矢サイダーは大好物で、ケースで置いてあり、飲みたいときに飲めた。

朝は決まってこう聞かれた。

「何で食う? 筋子か、納豆か、卵か?」

海苔は常備、マーガリンも、ごはんですよも、何でもあった。

豊かではなかったが、不安もなかった。

それが今だ。

筆者はいま、魚肉ソーセージ一つ、納豆パック一つ、牛乳一本を買うのに、少し考える。

毎日の昼飯は、スーパーで一番安い袋ラーメン。味噌汁代わりだ。

それでも一食40円以上はする。

朝食は抜きで、プロテインを飲む。

夕食は、具がワカメだけの蕎麦か焼きそば。

あとはナッツ、ドライフルーツ、バナナ、そして酒。

酒だけは譲れない。俺のガソリンだ。

「魚も食べないとだめだぞ。カルシウムだ」

ばあちゃんはよくそう言っていた。

いまでは肉も魚も、めったに口にできない。

先日、たまにはと思い、少しだけ奮発した。

日本酒を一本と、カツオのたたきの一番安いパック。

四角くて、皮が張っていて、噛み応えがある。

安いわりに、うまい気もした。

だが、それが間違いだった。

端の切りくずを寄せ集めたような部位は、細菌の温床だったらしい。

食中毒を起こし、発熱と下痢で三日ほど動けなかった。

そして今日も昼が来る。

袋ラーメンか、うどんか。

選択肢は、それだけだ。

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