プラトン『ピレボス』レビュー|快楽とは何か?―欲望と理性の交差点で考える
はじめに|この本の立ち位置
プラトンの対話篇『ピレボス』は、「快楽」について真正面から取り組んだ珍しい作品です。岩波書店の『プラトン全集』第4巻に収録されていますが、その内容は単なる倫理論を超えた、奥行きある哲学的探究となっています。
現代における“快楽主義”といえば、サド侯爵や澁澤龍彦が語るような、感覚的欲望への傾倒を思い浮かべるかもしれません。しかしプラトンは、そんな即物的な快楽論とはまるで別次元の視点から、“本当に善き快楽とは何か”を問います。
快楽には種類がある
『ピレボス』では、快楽には大きく分けて次のような種類があるとされます:
- 有限の快楽と無限の快楽
- 身体的な快楽と魂の快楽
- 快と苦(快楽と苦痛)という対立関係
たとえば喉の渇き──これは身体が水分不足を感知し、満たしてほしいと訴える感覚です。そして実際に水を飲めば、その“空き”が満たされる過程で快感が生じる。これが身体的な快楽の基本構造です。
同様に、空腹、寒さ、暑さ、疲労といった不快は、充足されることで快楽に転じます。これらは“比較”によって成り立つ相対的な快楽であり、極限状況では特に強く現れます。
たとえば戦時中、南洋の島で一滴の泥水を求めながら命を落とした日本兵の話は、まさに“快楽”の極限形を示す例と言えるでしょう。
節度と記憶という視点
この対話篇では、快楽そのものよりも、それを「どう享受するか」が重要であるという視点が強調されます。快楽には“限度”があり、過ぎれば毒となる。酒、食事、遊び──どれも度を超えれば身体や社会的信用を損なう結果になります。
そしてもうひとつ大切なのが、「記憶」や「想像力」といった、魂の働きによって生じる快楽です。たとえば:
- 激務のあとに待つ休日の楽しみ
- ダイエット中に思い描くご褒美の一杯
- 恋人とのデートを心待ちにする心情
これらは、身体が直接的に快楽を得る前段階にあたります。未来の快楽を先取りするように感じるこの期待感は、記憶と予測という理性的働きによって生まれる、いわば“魂の快楽”です。
快楽の上位にあるもの
プラトンは快楽そのものを否定しませんが、それに溺れることを戒めます。真に価値ある快楽とは、理性に導かれたもの、つまり「善と調和した快楽」なのです。
快楽を味わうためには、単に感覚が鋭ければいいのではなく、それを理解し、制御する「知性」や「記憶」が必要だとソクラテスは述べます。知と快の関係を探るこの対話は、単なる快楽論を超えて、人間の在り方そのものを問う哲学的問いかけなのです。
まとめ|“読む快楽”という楽しみ方
快楽は千差万別です。筆者自身を例にすれば、まず圧倒的に強いのは性欲・食欲・睡眠欲。そして次に、映画を観たい、音楽を聴きたい、ゲームがしたい……。
そして最後に、「本を読む」という行為。これはもっとも理性的で、安全な快楽のひとつだと感じています。身体的な危険もなければ、社会的信用を損なう心配もない。それゆえに“読む快楽”は、思慮ある魂にとって最上の喜びであると言えるかもしれません。
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