逆十字と逆五芒星──二つの“逆”の違い
序:すべての“逆”は同じか?
十字を逆さにした図像と、五芒星を逆さにした図像。
どちらも現代のポップカルチャーやホラー映画では「悪魔的」「不吉」の代名詞として扱われる。
しかし歴史を紐解けば、この二つの“逆”はまったく異なる意味を帯びてきた。
逆さは常に冒涜なのか?それとも、もう一つの信仰のかたちなのか?
今回は「逆十字」と「逆五芒星」を比較し、文化的解釈の分岐を探ってみよう。
1. 逆十字の起源──聖ペテロの十字架
逆十字(逆さ十字、逆クロス)は、必ずしも悪魔の象徴ではなかった。
その由来は新約聖書の伝承にある。
ペテロは殉教の際、「師であるイエスと同じ形で死ぬには値しない」として、自ら逆さに磔刑にされることを望んだ。
以来、逆十字は「謙遜」「自己卑下」「信仰の徹底」を象徴する記号となった。
実際、カトリック教会においては、ペテロにちなんでローマ教皇の座を逆十字で表す場合もある。
つまり逆十字は「反キリスト」ではなく「キリストへの従順」のしるしでもあったのだ。
2. 逆五芒星の登場──霊と物質の転倒
一方、五芒星は古代以来「調和」「霊の優位」「黄金比」の象徴であった。
一点を上にした五芒星は「霊が四元素を統御する」構図を示し、秩序と調和の図式とされた。
これを逆さにすると、霊が下に沈み、物質が上に立つ。
エリファス・レヴィは19世紀にこれを「物質が霊を支配する図像」と定義し、そこに山羊(バフォメット)の顔を重ね合わせた。
こうして逆五芒星は、近代オカルティズム以降「堕落」「動物性」「悪魔性」の象徴として定着してゆく。
逆十字が「謙遜の記号」から出発したのとは正反対の道を歩んだのである。
3. 二つの“逆”の文化的解釈
この二つの“逆”は、いずれも「反転」ではあるが、その解釈は大きく分かれる。
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逆十字
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本来:聖ペテロの殉教の象徴、謙遜と信仰の徹底。
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近代以降:ホラー映画やサタニズム文化の影響で「反キリスト」と誤解される。
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逆五芒星
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本来:必ずしも悪の象徴ではなかった。
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19世紀以降:物質が霊を圧倒する図式=堕落の象徴、悪魔の印。
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両者を比べると、逆十字は解釈の揺らぎが大きく、逆五芒星は悪魔的意味に収束していった、という違いが見えてくる。
4. 「逆」という行為の二方向性
なぜ同じ「逆」でも解釈が分岐したのか?
そこには「逆」の持つ二つの方向性が関わっている。
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自己卑下・従順としての逆
→ 逆十字に典型的。上を否定して下に自らを置くことで、むしろ信仰の強さを示す。 -
秩序の転覆としての逆
→ 逆五芒星に典型的。霊と物質の序列を反転させ、禁忌的な意味を発生させる。
つまり「逆」という記号は、文脈次第で「信仰の深化」にも「冒涜の象徴」にもなり得るのだ。
5. 現代文化における二つの“逆”
ホラー映画やブラックメタル文化の中では、逆十字と逆五芒星はほとんど同列に「不吉のアイコン」として扱われる。
だがこの並置は、文化史的には異例の融合である。
逆十字=ペテロの象徴、逆五芒星=バフォメットの象徴。
本来は異なる系譜のシンボルが、「逆さ=悪魔的」という単純な連想の下に接続されてしまったのだ。
この混淆こそ、現代のオカルティズム的想像力の特徴とも言える。
象徴の歴史的多義性がポップカルチャーに吸収され、単一のイメージに凝縮される。
結語:逆は必ずしも“悪”ではない
逆十字と逆五芒星は、どちらも「逆」という共通要素を持ちながら、異なる運命を辿った。
逆十字は「謙遜の記号」と「冒涜の象徴」の両義性を帯び、逆五芒星は「悪魔性」の象徴に集約していった。
ここから言えるのは、逆=悪魔的 という単純な図式は歴史的には成立しない、ということだ。
逆とは常に「境界の問い直し」であり、時に信仰を深め、時に秩序を転覆させる。
逆さにされた図像は、恐怖の記号であると同時に、
私たちが秩序をどう信じ、どう疑うかを映す鏡なのである。
▶前回の記事:【バフォメット再考──山羊はなぜ境界を越えるのか?】
https://saitoutakayuki.com/philosophical-bias/baphomet-goat-liminal-symbol/
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