マンディアルグ『生首』感想と考察|『狼の太陽』収録の夢と狂気が反転する短編

小説の闘牛場

【マンディアルグ】短編「生首」〜血と狂気が現実に変わる瞬間|『狼の太陽』より

アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグによる短編集『狼の太陽(Le Soleil des loups)』に収められた「生首(La Vision capitale)」は、彼の代表作の中でもとりわけ完成度が高く、読後に深く印象を残す逸品である。

あらすじ

山奥で偏屈な叔父と静かに暮らす少女、へスター・アルジャノン。ある日、友人から仮装舞踏会への招待状が届くが、叔父がその紙を食べてしまう——戦争中の癖で紙が好物なのだ。肝心の開催日が分からぬまま、へスターは曖昧な記憶を頼りに嵐の夜、城へと向かう。

しかし、到着した城には誰の姿もなく、無愛想な下男だけが応対し、彼女を「真紅の間」へ案内する。壁は血のような赤、家具は解剖学的な人体彫刻で彩られた異様な部屋だった。

深夜、目覚めたへスターは、窓から忍び込んだ老いた狂人が、同じく年老いた女性の切断された「生首」で遊んでいるのを目撃する——まるで悪夢のような場面。そのあまりの異常さに、彼女は気を失ってしまう。

翌朝、目覚めた世界は何事もなかったかのように明るく清々しい。しかし、現実の新聞記事が彼女を打ちのめす。昨夜、狂人が精神病院を脱走し、老妻を殺害するという事件が実際に起きていたのだ。夢だと思っていた出来事は現実だった——いや、平穏な日常こそが「夢」だったのかもしれない。

夢と現実の反転

この短編の核心は、血と狂気のヴィジョンが「夢から現実へ」と反転する一瞬にある。へスターが暮らしていた平穏な世界は幻想だったのか。幸福の裏側に、暴力と狂気は常に息を潜めていたのだ。

事件を経たへスターは、すっかり変わり果てた姿となる。髪はぼさぼさに、衣服も気にせず、森をさまよう姿はもはや獣のようだ。幸福な少女は、ある種の「知覚」を得た代償として、人間社会から遠ざかってしまった。

血と狂気の美学

マンディアルグの描く「血と狂気のイメージ」は、同時期頃の長編作品『大理石』にも共鳴する。たとえばプラトン的な構造を持つ彫像の内部、肺の部屋には拷問と殺戮の壁画、頭部の狂気の間には、獣面の裸体神と踊る人間たちが描かれている。

それはただのグロテスクではない。むしろ我々の日常の裏に潜む「現実」であり、忘れられた神話であり、夢とうつつを繋ぐ神経の断面だ。

夢か現実か

私たちが「現実」だと信じている日常も、ある日突然、ひっくり返されることがある。そのとき私たちは、自分がどちらの世界に生きていたのかすらわからなくなるだろう。へスターの体験は、その一例にすぎない。

——果たして私たちは、夢を見ているのだろうか。それとも今が夢なのだろうか。

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