マンディアルグ『大理石』考察|マッコウクジラの夢と錬金術的死生観

小説の闘牛場

マンディアルグ『大理石』に斬られる!証人のささやかな錬金夢(第二夜)

マッコウクジラの夢──第一の錬金オニロスコピー

今回もアンドレ・ピエール・ド・マンディアルグの錬金夢――通称「オニロスコピー」の続きである。

「〜を斬る!」という表現はテレビ番組の安っぽい決まり文句だが、今回はあえて反転させ、こちらが『大理石』に斬られる覚悟で臨む。

第一の夢は、マッコウクジラの頭蓋骨の幻影である。

その背景に流れるBGMは、エニグマの《The Cross of Changes》。重低音と神秘のヴォイスが、夢の濃度を静かに高めていく。

黒い砂浜と紺青の空──夢の構図

夢の舞台は、サルバドール・ダリの絵画を思わせる砂浜。

証人はその黒い浜辺を長く歩き続けていた。

空は深い紺青に染まり、辺りは静寂に包まれている。

やがて波打ち際にて、岩のように巨大な頭蓋骨を発見する。

それは単なる骨ではなかった。牙を備えた、獣とも神ともつかぬ、白亜の構造体。

「馬のように白い骨だ」――証人はそう口にする。

それは夢の中で確かに発された〈声〉だった。

チベット密教との接点──チョエニ・バルドゥ

この夢が示唆するのは、チベット密教の「チョエニ・バルドゥ」に似た体験である。

恐るべき頭蓋骨、牙、白い骨。そこに現れたのは、不老不死の神々の威容であり、それに向かって無意味な一言を放つことは、神の前での“無礼な生”の証明である。

「馬のように白い骨」──このムダ口こそ、神の裁き=死刑宣告そのものなのだ。

死すべき者が、不死の神に言葉を向けた代償。それが“微笑”であり、“死”なのである。

葉緑素と真紅の花──死から生への転生

しかし場面は一転する。

マッコウクジラの骨の間から吹き出した熱風が、証人の顔を掠めると、白骨は徐々に緑色に染まっていく。

まるで草原が骨の上に芽吹いたかのように。

牙という牙からは、やがて真紅の花が咲き始める。

その姿は恐怖の造形物が一転して、再生と愛を告げる祝祭の装置と化す。

証人は思う──「パンの神が復活しようとしている」と。

墓場の底から甦ったキリスト、不死の神話が今まさに眼前に顕現したようであったと。

古代ローマには“微笑”がなかった

夢から目覚めたフェレオル・ビュックは、こう結論づける。

「古代ローマには“微笑む”という概念が存在しなかったのではないか」と。

ラテン語の“subridere”という語は、ローマ帝国末期の退廃的な用法にすぎず、共和制ローマの全盛期には“微笑”という語そのものがなかった。

人は笑うか、真顔か。それだけだった。

つまり“微笑”とは、近代以降の、柔らかく退屈で、寛容すぎる人間性の象徴なのかもしれない。

微笑=ムダ口=死刑

マッコウクジラの牙に対して「馬のように白い」と呟いた証人。

その一言は、神に向けたムダ口だった。

ムダ口は、おしゃべりの一種。おしゃべりは、微笑を誘う。

そして、神の世界においては“微笑”こそが罪である。

微笑=ムダ口=死刑。

この夢は、死と再生を語る錬金術的寓意であり、微笑みひとつをもって人は神に裁かれるという、恐ろしく繊細な黙示録なのだ。

付録: BGMとしてのエニグマ

エニグマの《The Cross of Changes》が、この神秘的夢想とよく調和する。

緻密なビートと囁くようなボイス、世界の始まりと終わりを同時に奏でるかのような音像。

エニグマはそもそも「構造の崩壊」や「余白」こそが演出なのかもしれない。終わりきらない=終わらせない。

『The Cross of Changes』では、「終末感+脱構築」の美学が貫かれていて、

「明確な結論を提示しない」スタイルは、狙ってやってる可能性が高い。

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