フランチェスコ・マリア・グアッツォが書いた17世紀頃の本『悪行要論』は、『魔女の鉄槌』(MALLEUS MALEFICARUM)と並ぶ有名な魔女狩り本とされている。さて読んで見て実際どんな本だったのかを率直に語っていく。
用いた本
『悪行要論』は澁澤龍彦などにも紹介されていて名前は知られていても、邦訳は出ていないからアマゾンで洋書を買った。価格は1480円!安い!
ページ数は206あり適度な厚さだが紙は一枚を左右に分かれて書かれており、ところどころに挿絵が付いている。昔の版を意識した不均一な文字の大きさとやや古めかしい字体。
出版社は Doverでオカルト・シリーズの一巻らしい;ちなみに Malleus Maleficarumも出ており、どっちも昔のオカルティストのモンタギュー・サマーズのバージョンを使用している。
用いた辞書
辞書なしでは読めない。筆者の英語読解能力はWOWなどのネット・ゲームや洋画の視聴で養われた、と言っても過言でない。この本の英語はとても勉強になる。通常使い回さないような気の利いた用語の用法、ユーモア溢れる文章が多いからだ。
そんなわけで最後のあたりを読む頃には今まで知らなかった、かなりの量の新しい英語をふんだんに吸収していた。
ジーニアス英和辞典は中学生や高校生向けの辞書に見えはするが、内容はかなり広範囲に網羅している。『悪行要論』は中世の教会や聖職の用語が多いのだが、それらもきちんとカバーしている。ただ解剖学やマニアックな単語はネットで調べるしかないが。
●参考→【ワールド・オブ・ウォークラフト】英語学習にもなるアメリカのMMORPG
内容
『悪行要論』は古今東西主にヨーロッパの著作の中から特記に値する事例を作者が選び出し、それをカタログのように並べた本である。アウグスティヌス『神の国』からも(特に岩波文庫版で言う第5巻には悪魔に関する話が多いので)、ピコ・デラ・ミランドラからも引用される。
『魔女の鉄槌』からの引用も多い。中世の木版画挿絵は同じ絵を何回か使い回しているが、細かい字で埋められたページを読んでいくのにたまに息抜きになる。
しかし恐いと言うよりかは面白おかしい悪魔や魔女の話は、”悪を知ることにより、悪に打ち勝つ”との重要な目的の元に進められている。最後に近づくにつれて神学的内容が濃厚になってきて難しくなる。最終章では悪魔に取り憑かれた場合の対抗措置にはどのような物があるかが枚挙され、この本は終わる。
●参考→アウグスティヌス【神の国】第五巻「悪魔祓い」記録・古代キリスト教時代の闇
感想
『悪行要論』は読んだ人の信仰を高め、現代人が迷信だと考えるようになってしまった”悪魔”の実在に付いて深く考えさせる。悪魔、汚れた霊、魔女・魔術への対抗を聖書に求めているため、聖書の力を再認識させられる。
聖書は誰でも手軽に手に取れる書物であるが、この本には悪魔を祓ったり汚れた霊を追い出したりできる力があるのだ、と言うことだ。そして英語で『悪行要論』を読んだなら、英語の聖書を買うことを進める。出ないといまいちその力が実感できないだろう。
最後に、この本の中で非難されている魔女の夜宴”サバト”、軽々しい口、淫行および姦通、身体の売春は今の日本に溢れかえっている。マンディアルグが新宿のデパートに講演しにきた時の「ラテン語ではなく英語を世界語としたことは、人類最大の過ちであった!」との唾棄の言葉がよく似合う風潮だ。
原因は三島由紀夫が憤慨した自衛隊にあるのではない。戦争に負けたのは仕方がない。アメリカは日本の手本となった。歴代の畜群は盲目的な従属性を発揮して今日に至った、という結果になるのである。
😉 この英語の聖書は文字が大きくて非常に読みやすいところがおすすめだ。