*註(2018年7月アマゾン・プライム動画にて配信中の「マッド・マックス1」の音声は、筆者が視聴したところではオーストラリア英語のオリジナルです)
公開当時
私はおっさんである。「マッド・マックス1」をリアルタイムで映画館で観たのがたしか8歳の頃だった。それによって受けた衝撃は私の人生に大きく影響を与えた。私は総じて過激なもの、過剰なもの、大げさなものを好むようになった。
昔はR指定などはなく、クェンティン・タランティーノ監督の「グラインドハウス」のような地方の映画館で観た。座席指定も時間指定もない、途中入退出や二回続けて観てもOK、さらに豪華二本立てである。映画の情報は「スクリーン」といった雑誌や道路上に立てられた雨風で汚れた看板ポスターのみという時代。
親に連れられて観に行ったのだが、子供心にムチャクチャ面白かったのを覚えている。親が観たい映画に連れまわされたおかげで、洋画は字幕で観るのが私の常になった。
上映環境
CGなしのカーアクション映画全盛の時代であるから、それまでも何本かその手の映画は観ていたはずだが、マッドマックスはケタ外れに面白かった。猛スピードで走る車やバイクのタイヤ接地面すれすれのカメラアングル、劇場に設置されたいくつものスピーカーから吹き出すエンジン音、個性的な登場人物たち、どれをとってもそれまでの映画にないものだった。
その魅力は最新作「フューリー・ロード」においても見事に受け継がれている。ど田舎のグラインド・ハウスはこの映画のために初めてサラウンドを入れたのだった。初体験したその爆音は思い出すだけでも慄えてくる。
絶叫するナイトライダー
まず1の冒頭ではナイトライダーが絶叫しながらボロボロのクルマで突っ走るシーンがある。暴走族の長トゥーカッターは最新作「フューリー・ロード」のイモータンジョーの役者である。メル・ギブソン演じる警官マックスが親友と妻子を殺害されて、黒い特別追跡車インターセプターで反撃に出るところは観ていて身ぶるいする。
このクルマはボンネットに穴が開いていてスーパーチャージャーが飛び出ていてド迫力なのだ。この車とナイトライダーに長年惚れ込み、私は20代のころボロの黒いトランザムを買って乗り回すハメになった。「マッドマックスに出てくるような車」に人生一度でいいから乗ってみたかった。
◯トランザムの記事はこっちだよ 😎 →【ファイヤーバード・トランザム】の思い出〜GMポンティアックのアメ車・スーパーカーについて
*註(ちなみに近年の動画視聴サービスなどで観ることのできるマッドマックス1は俳優の声がリマスターされていて原型を留めていない。原音を知っていたらアメリカの別人が吹き替えたのかと思う程だ。言わずもがなマッドマックス1はオーストラリア映画であり、英語の発音はアメリカ英語ではない。違いが顕著なのはババ・ゼネディやトゥーカッターだけではない。ナイトライダー、ジョニー・ザ・ボーイと序盤の太った警官やグースまで、つまりメル・ギブソン以外の全部が吹き替えまたはリマスターされている。)
もし劇場公開時の興奮をそのまま味わいたいなら10年前くらいのDVDを買って観てみて欲しい。その違いに気づくはずだ。ナイトライダーの絶叫はあまりにも渋いしゃがれ声であり、ババの声はあんな可愛らしくない。
ジョージ・ミラー監督
ジョージ・ミラー監督はただ激しいアクションを撮るのではなくそれを誇張して見せる方法を知っている。ストーリーと登場するキャラクターがとにかく濃い。架空の世界を描くマッドマックス2は色々な映画に影響を与え続ける名作であるが、リアリティのなさを好む監督の趣向はすでに1の時から随所に見てとれる。一例をあげるとマックスがガレージでインターセプターを披露されている時、署長と役人が無線でその様子を聞いているが、役人は背広の上に剣道の防具を付けており、竹刀を持って面を被り立去るシーンがある。
3作目で地位を確立
3作目のサンダードームについては余り良くない。これだけは80年代のメジャー路線をねらったエンターテイメント的要素が強い作品と言わざるを得ない。本格的なアメリカ進出を果たししっかりした地位を築いたものの、本来のマッドマックスという映画の道から逸れているような気がする。
MADMAX
こうして長年マッドマックス=メル・ギブソンという等式があったが、最新作でトム・ハーディーが代わりに見事な若返りを果たした。最後にMADMAXという映画のタイトルは最高に狂ったという意味であろう。このシリーズで描かれるヒーローの特徴はクールで悪党には容赦ないが、閉ざされた心の奥に市民を守る優しい警官がいるというギャップだ。自らを省みず捨て身で弱いものたちを暴力から救う、それがマックスというキャラクターの魅力だ。
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