【マンディアルグ】短編評論「黒いエロス」解説と感想|エロティシズムの闇を見つめる
短編評論「黒いエロス」とは
フランスの詩人・作家アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグによる短編評論「黒いエロス」は、1958年刊の評論集『月時計』に収録されている。邦訳としては、澁澤龍彦訳『ボマルツォの怪物』(河出文庫)に収められており、約10ページほどの短文ながら、エロティシズムに対する鋭い視点が展開されている。
一見シンプルな文章でありながら、マンディアルグ特有の深層的な哲学がにじみ出ており、彼の幻想文学の読解にも役立つエッセイだ。現代の過剰な消費的性文化を見直す契機にもなりうる。
小説との関係──「イギリス人」との接点
「黒いエロス」という表現は、彼の代表作『閉ざされた城の中で語るイギリス人』のラストにも登場する有名な一節「エロスは黒い神である」に由来する。今回の評論は、まさにその一文を拡張・補強するような内容となっている。
ギリシア神話におけるエロスは、愛と欲望を司る神である。しかしマンディアルグのエロスは、光や快楽よりも闇や禁忌を纏う存在として描かれている。
発表時の時代背景
この評論が発表された1958年は、第二次世界大戦後の復興期。欧米社会は消費文化の波に乗り、性に対する価値観も揺れ動いていた。
マンディアルグは、その変化に一石を投じるかのように、「エロティシズム」という言葉がいかに俗化・空洞化されてきたかを指摘する。言語の歪みが精神の歪みに直結するという批評眼は、現代にも通じる。
自由の女神とエロスの断絶
評論中に登場するのが「自由の女神」の象徴性である。1886年にアメリカに設置されたこの像は、しばしば自由と啓蒙の象徴とされるが、著者はそこに違和感を見出す。
婚姻や道徳の束縛から解き放たれた現代の性文化。マンディアルグはその自由さが、むしろエロスの本質を失わせていると考える。欲望が公共化し、可視化された途端、エロスは光の中で死に絶える。
「黒さ」の意味──光と闇の二元性
本評論の中で語られる「黒さ」は、人種的な表象ではなく、精神的領域に属する象徴色である。黒=闇、白=光、という二項対立が根底にある。
エロスは「暗黒の領土」に属する。光の中ではなく、抑圧や禁忌の影のなかでしか、真の官能は存在しないという思想だ。これはチベット仏教における静観仏と憤怒仏のような、二元的世界観にも通じる。
ウィリアム・ブレイクの箴言「フクロウはすべてを白く望み、カラスはすべてを黒く望んだ」は、マンディアルグの精神世界をよく象徴している。
現代テクノロジーとの距離感
VRポルノ、成人ゲーム、AIによる性的表現…。最新技術は欲望の「拡張」に邁進しているように見える。しかしマンディアルグが見つめるのは、もっと深層的な、光の届かない部分に潜むエロスである。
現代の表層的な性表現とは根本的に異なる「黒いエロス」。それは儀式的であり、幻想的であり、ある種の宗教性をも帯びる。そこには商品化された性にはない、原始的で濃密な体験がある。
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