【ユリイカ1992年9月号】マンディアルグ特集号──幻の一冊を再読して 雑誌「ユリイカ」と私
文芸誌『ユリイカ』は、1990年代初頭の文化的記憶において、前衛を気取った硬派な雑誌として際立っていた。インターネットのない時代、こうした雑誌は“文芸”という知的磁場の中心をなしていた。当時詩人を志していた私は、投稿先としてはやや親しみやすい『詩芸術』に詩を載せてもらったこともあったが、『ユリイカ』にはいくら投稿しても一度も掲載されることがなかった。若さゆえに諦めも早かったが、「ここはレベルが違う」と直感したことを憶えている。
その頃、リアルタイムで手に取ったのが『ユリイカ』1992年9月号「アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ特集号」だった。私はその号を読み耽ったが、のちに手放してしまい、長らく記憶だけが残っていた。今回、古書を購入して再び手元に戻したことで、特集部分をあらためて読み返すことができた。以下は、その再読によるレビューである。
収録されたテキスト群──『月時計』を中心に
まず、マンディアルグ自身の邦訳テキストが複数収録されている。主に評論集『月時計』『展望台』、および対談集『記憶の混乱』『陽気な土星』からの抜粋が中心である。
とりわけ『月時計』(1958年刊行)からは「ウニ」「夢」「プリアの密偵」「パレルモの舞踏会」の4篇が取り上げられており、いずれもマンディアルグのメキシコ旅行以後に書かれたものである。彼にとってこの旅は、精神的にも美的にも大きな“恩寵”であったが、帰国後、妻ボナ夫人との別居という転機を迎えることにもなる。
この作家の人生には、メレット・オッペンハイム、レオノール・フィニー、そして17歳年下の画家ボナとの華やかな関係が彩りを添える。1950年にボナと結婚したものの、数年後には別居、離婚。その後、7年の歳月を経てボナが戻り、再婚。そして一人娘、シビル・マンディアルグが誕生する。名の“Sybille”が示すように、〈女巫女〉としての運命を担わされたかのような存在である。
シビル・マンディアルグと“PAGES MEXICAINS”
2009年、作家生誕100年を記念して、ガリマール書店から出版された『PAGES MEXICAINS』は、この娘シビルによる編集協力のもと編まれたメキシコ旅行記録集である。そのフォント選び、写真配置、レイアウトのすべてが、まさに現代的で洗練された“娘らしさ”に満ちている。父とメキシコを結ぶ芸術的回路が、時を超えて継承されていることを感じさせる一冊だ。
特集記事の核──旅とエロスと精神の探求
『ユリイカ』特集の中核を成すのが、「マンディアルグがマンディアルグになるまで」と題された記事群である。邦訳資料の少ないこの作家にとって、対談集や評論の抜粋はまさに金鉱のような存在であり、その貴重性は今も変わらない。
「文学とエロチスム」と題された論考、ハンス・ベルメール、アンドレ・ブルトンらシュルレアリスト仲間への讃辞、そして何よりも読みごたえがあるのが、メキシコ旅行記「テワンテペックの夜」「ユカタン半島をはるかにのぞみ見て」である。南方への旅を通じて彼の文学は異界と接続される。それは〈地理〉ではなく〈精神の地勢学〉である。
この深い旅の記憶は、娘シビルによる『PAGES MEXICAINS』によって、ふたたび発光しはじめる。
そして──羨望と信仰のあいだで
シビル・マンディアルグが今どこで何をしているのかは分からない。2009年以降、彼女はネット上から姿を消しており、SNSもブログも確認できない。その沈黙こそ、彼女が“巫女”の名を与えられた意味なのかもしれない。
私はずっとマンディアルグを「羨ましい」と思う気持ちと闘ってきた。ただ成功者への羨望なら、それほど苦しいものではない。だがこの作家は、美女、名声、芸術、精神の鋭さまでもを手にしていた。人が得られるはずのないすべてを、彼は持っていた。
神はなぜ、こんなに不公平なのだろうか──そう問いながらも、彼の書いたメキシコの光を、私はいまも美しいと感じてしまうのである。
Lettre spirituelle à Madame Sybille — Hommage à A. P. de Mandiargues
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