『枕草子』第八段を読む|中宮定子と清少納言の知と笑いが織りなす宮廷文化

疑似学術地帯

【枕草子 第八段】大進生昌の邸にて|清少納言と中宮定子の〈知〉と〈笑い〉の宮廷文化

1. はじめに──「枕草子」第八段の位置づけ

『枕草子』第八段に収められたのは、清少納言が仕える中宮定子(藤原定子)とともに、大進・平生昌(だいじん・たいらのなりまさ)の邸宅を訪れた際の、軽妙で知的な宮廷エピソードである。

この章段は、単なる「若い女房たちの戯れ」として消費されるにはあまりに精緻であり、和漢の教養、階級関係、建築構造と身体動作、さらには感情表現の儀礼的演出など、さまざまな文化要素が層をなして交錯している。


2. 北の門と空間構造──寝殿造と身分の空間論

物語は、生昌の邸宅の「北の門」から始まる。この門は狭く、雨に濡れた「えんどう」(舗道)が敷かれているため、牛車を横付けにすることができない。ここでまず注目すべきは、寝殿造という建築形式が、移動と視線、見られる身体をどう制御するかという問題である。

清少納言は、雨上がりの泥濘(ぬかるみ)を踏んで牛車から降りざるをえず、整えていない髪形を多くの男性の視線にさらされる。この「見る/見られる」の関係性において、彼女の苛立ちは単なる身だしなみへの羞恥にとどまらず、貴族女性の身体がいかに空間的に管理されるべき存在であったかを明らかにしている。


3. 和漢の教養対決──女性知性の演出

そこへ生昌が硯を差し入れてくる。清少納言は、門の不便さと自身の屈辱を訴えるが、生昌は詫びるでもなく、軽い言い訳を返す。ここで彼女は漢籍の故事を引き、「あなたほどの官人が門の構造も気づかないとは」と皮肉をこめて論破する。

注目すべきはこのやり取りにおいて、女性である清少納言が漢籍を援用して男性官人を論破する点である。平安時代における漢文=男性的知、仮名=女性的感性という通念に対し、清少納言は仮名文学の担い手でありながら、漢文知識を駆使し、「知の演技」を果たしている。

この場面は、女房文学とは感性のみならず教養をも武器にできる場であったことを如実に物語っている。


4. 夜の出来事──恋愛儀礼の滑稽な変奏

夜が更け、女房たちは対屋の西廂(にしびさし)に宿泊する。ここで生昌が再び登場するが、彼の言動は極めて滑稽である。寝所へと通ずる襖に鍵がかかっていないのをよいことに、「そちらへ参ってもよいか」と問いかける。

これは平安文学における「忍び通い」──つまり貴族の恋愛儀礼における定型的行動をなぞろうとするものであるが、その文脈理解が甘く、清少納言たちにとっては笑いの対象となる。

この場面は、恋愛的接近すらも笑いによって解体される宮廷文化の特性、すなわち「儀礼の滑稽化と観察者としての女房」の視線が鮮やかに表れている。


5. 「わらはべ」の装束──戯れと知性の往還

翌朝、生昌は再度「申し上げたいことがある」と清少納言を呼び出す。定子は「またどんなくだらないことを言って、笑われようとしているのか」と笑いつつ送り出す。このやりとりは、宮廷内部における知的遊戯の再演である。

生昌が伝えた内容は、「兄があなたの機知に感心していた」というだけのことである。しかし定子は、それすらも「彼があなたを喜ばせようとする優しさからではないか」と評し、その思いやりに敬意を示す。

ここに見られるのは、知的な勝負・嘲笑・感動の感情が複雑に絡み合う、洗練された感性の空間であり、それは清少納言が敬愛してやまなかった中宮定子の人格像の一端を物語る。


6. 結語──知と笑いの宮廷的共同体

『枕草子』第八段における一連の記述は、平安中期の宮廷がいかにして**「知識・感性・笑い」を中心とする共同体**を構成していたかを明示する貴重な文献である。

  • 空間的には、寝殿造という建築が女性の身体を社会的に制御していた。

  • 教養的には、和漢両道に通じた女性の知が男性知性に対峙し得た。

  • 感情的には、嘲笑も慈しみも「いとをかし」の体系のなかで再構成されていた。

中宮定子という存在は、こうした文化の焦点としての魅力と風格を具え、清少納言にとっては単なる主君ではなく、知と感情の交錯する理想の象徴であった。

若くして没した中宮定子への深い追憶と敬慕が、この章段のすみずみにまで染みわたっている。

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