【菅原道真】王丸勇・著|神と知のあわいに生きた詩人政治家を読むための入門書
1. 書誌と著者──昭和的良書としての価値
本書『菅原道真』(金剛出版、1980年)は、福岡を拠点に活動した精神医学者・王丸勇(おうまるいさむ)によって著された人物論的評論である。刊行から40年以上を経た現在、入手は古書店に限られるが、その温故知新の価値はむしろ高まっている。
著者は精神科医であるが、本書における専門的精神医学の記述は分量としてごく一部に留まり、大部分は史実、和漢詩文、信仰圏の拡がりなど、道真という存在を広角的に描き出す内容となっている。専門を逸脱せず、かつ学際的に越境してゆく書きぶりは、かえって現代的であるとも言えよう。
2. 天神信仰と読者の出発点──なぜこの本を手に取ったのか
筆者(本記事執筆者)にとって本書は、菅原道真という存在へと接近する初めての読書体験として位置づけられる。日本史や古典文学から長く遠ざかっていた自分にとって、「天神様=学問の神」という通俗的イメージ以上の情報はなく、むしろ「なぜ人はこれほどまで道真を恐れ、敬い、神格化してきたのか」が関心の的であった。
高校以来ほとんど触れてこなかった日本史に再び惹かれるきっかけは奇妙なものである。たとえば、深夜に聞こえる五位鷺(ごいさぎ)の怪しげな鳴き声──この鳥は、かつて醍醐天皇が五位の位を与えたという逸話を持ち、まさに道真と朝廷の政治的・宗教的関係を象徴する存在である。
そうした不可思議な縁から平安時代への関心が高まり、やがて道真と「天神信仰」への探究が始まった。その第一歩として、あえて学術書でも教科書的な概説書でもなく、精神科医によるこの一書を選んだことは、結果として非常に実りある選択となった。
3. 平安時代と知の磁場──詩人・官僚・怨霊
菅原道真(845–903)は、平安前期において和漢両道に通じた代表的文人官僚である。とりわけ、儒学的教養を背景とした政務運営能力と詩文の才を併せ持ち、その後の「知の官僚」像の原型となった。
本書では『菅家文草』『菅家後集』などに残された詩作を数多く紹介し、道真の個人的な心情や、国家と天命への思索を丹念に読み解いている。その中には、自らの政治的失脚・配流に至るまでの抒情と苦悩が、しばしば端正な漢詩として結晶していることが確認できる。
たとえば、太宰府へ流された際の詩文や、春を詠んだ作品に滲む望郷の念、あるいは死後に祟神として神格化されていく過程には、知と呪のあわいに立つ人物像が浮かび上がる。王丸は精神医学者としての距離感を保ちつつ、しかし共感を伴った言語でこの詩人を語っている。
4. 天神信仰の発生と変容
本書の後半では、道真の死後に発生した「怨霊信仰」から、やがて「天神」としての神格へと転化していく宗教的プロセスについても触れられている。
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清涼殿落雷や疫病の流行により、朝廷内では「道真の祟り」との認識が広まり、
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醍醐天皇による鎮魂儀礼(神号の授与、官位追贈など)が実施され、
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北野天満宮をはじめとする「天満宮」ネットワークが形成される。
このような流れは、単なる怨霊鎮撫ではなく、国家による政治的統合の儀礼としての神格化でもあった。そのような「制度化された畏怖」が、やがて「学問の神」としての道真像へと再構成されていく過程が、本書では精神医学的視座も交えつつ、静かに辿られている。
5. 本としての価値──1980年刊行の古典的佇まい
昭和55年刊行という時代的背景もあり、文体や構成にやや古風な趣はあるものの、内容の質においてはむしろその古風さが功を奏している。現代的な断片主義や軽妙さとは異なり、文人に対する深い敬意と、手書き的な文献愛に満ちており、今日の読者にとってはかえって新鮮に映る。
また、詩文の引用も多く、菅原道真本人の「声」に直接触れたいと願う読者にとっても価値ある導入書といえる。漢文原典にあたるきっかけとして、本書は格好の入口である。
6. 結語──変則的な入口から神的知性へ
教科書的な道真像ではなく、あえて一人の精神科医の視線を通して出会うことで、かえって道真という人物の多層的性格が見えてくる。
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政治的には失脚者であり、
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宗教的には怨霊とされ、
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文学的には詩人であり、
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教養的には「学問の神」とされた。
このすべての顔が本書には収められており、読者にとっては天神信仰と文学のあわいに立つ知の巨人との濃密な邂逅を得るに十分である。
「天神を知るための最初の一冊」として、本書以上にふさわしい入口は、今なお少ないのではないか。
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