*底本は出版社曰く”漱石珠玉の小品全七編” 新潮文庫『文鳥・夢十夜』(昭和51年発行、平成14年改版)です。
国語
夏目漱石、学校で習う国語の教科書、お札の顔、学生でも日本人なら知らない人はまずいない”文豪”である。だがその型にハマった教育のもたらす誤った考え、”文豪”なる装飾を彼から取り去り、ただ面白いかどうか、読書体験による快楽の度合いに焦点を絞ろう。
筆者は御多分に洩れず読書を始めた高校時代、「坊ちゃん」を買って読んだのが初めてだと思う。初めて買ったレコードのようなものだ(ちなみに初めて自分で買ったまともなレコードはザ・パワー・ステーションの”サム・ライク・イット・ホット”のシングルだったかと記憶する)。
感想文
その後日本文学にハマり色々と教科書に載っている有名どころを読み漁りはしたが、中でも夏目漱石の長編小説はよくもまああの年齢であんなに読めたもんだ、と今になって思うくらいに読んだ。高校の卒業間近に出した読書感想文は「こころ」だったが、先生方の評判が良く賞を取ったくらいだ。
だがあるきっかけが筆者から厭世的な傾向の強い特色の強い日本文学を遠ざけた。私は夏目漱石から今までずっと離れてきた。巡り巡って何を思ったかこの本を読もうという気になった。つまり知識は自分の感覚に刻み込まれている、自分自身の根本に帰ろうと思い根ざしたことが理由。
短編
さて改めて夏目漱石を読んで感じたことは、本当にすごい作家だということだった。なんて味のある、深い小説だろう、言いようのない快楽を率直に感じた。漱石は長編が多く知られているようであるが、この本を読んで面白いと感じはしても、昔のように三部作を立て続けに読んでみる気にはならなかった。
あらすじを読んだだけで眠くなるようであり、人間いつ死ぬかわからない以上、こんなものを読んでいる暇はないなと思ったのだ。これに対し本書のような短編集は読むのに時間がかからないし、短く圧縮凝縮された漱石のエキスを問題なく味わえるのだ。
夢
もし夏目漱石の作品中何が好きかと聞かれたら、私は『夢十夜』と答える。これは学生時代だけでなく大人になっても、色々な外国文学や古代の哲学を学んだりした後になっても変わらず面白い。内容が超自然で幻想的というのがその理由なのだろうか。
日本文学に弱い筆者には答えられない。何しろ『古事記』すらまともに読めないのだから。新聞の連載だったのだろうか、題名どおり10の短い夢から成り、一個一個があっという間に読み終わる。しかも一つ一つが不思議な夢であり、かつ漱石の日本語が流暢に展開されるので全く飽きさせない。
概要
一体小説家が本当にそのような夢を見たのかどうかは分からない。文体も「こんな夢を見た」で始まる調子が後半は省略されるなどして、シリーズが進むにつれて小説が生き物のように変容し始めたかの感がある。
あらすじは言わないがすぐ思い浮かぶ夢だけ、いくつか簡単に列挙する;
死の床の女の夢。百年後夜明けの金星になって帰ってくる女。美しい天体と庭の花が織りなす天文学。床は漱石の死んだ胃潰瘍の病床を連想させた。
突然背中におぶった盲目の子供が、輪廻した殺陣の被害者であると知る。
果てしなく続く豚の行列をステッキで撃退する夢。ユダヤ教の汚れた動物に乗り移って転落死した悪霊の軍団が記憶に新しい。
まとめ
さて、もっとあったと思うがここまでにしよう。もう一度言う。漱石で何か一つ読むのなら『夢十夜』が最高。何が一番面白いかと言うなら『夢十夜』。いつまでも忘れられないのが『夢十夜』である。
この短編を読んでいる時、幻のような時間がゆっくりと流れる。読者は懐かしい時代の日本に立ち戻ると共に、イギリス留学で異常行動に陥った、実は作家になるのが遅かった”文豪”夏目漱石に調理された極上の文章に夢中になるであろう。