岩波文庫の立派な訳が出ている、古代ローマの詩人兼哲学者ルクレーティウスの「物の本質について」の読書感想。
ルネサンス
若い頃一回読んであまり印象に残らなかったこの本をなぜ今図書館から借りて来て読んだか。現在3度目読破中のアランナ・ミッチェル『地磁気の逆転』の中で、科学の歴史の叙述で言及されていたからだった。
その中でルネサンス期に写本が発見され印刷されたこの書が、いかに当時衝撃的だったかが書かれていたため、参考に手に取ったのだった。
中身はギリシャ哲学・文芸に追従するローマの詩人の熱烈なエピクロス崇拝であるが、ホメロスを思わせる詩の形式を取っているだけあって詩情溢れる味のある本である。
「物の本質について」という題名から伺えるように、物質について考える哲学書であるのみならず、かなりの分量の面白い読み物として構えた方が良い。実際哲学からかけ離れた物語めいた記述が大分含まれているからだ。
エピクロス
エピクロスについてはよく知らない。ルクレーティウスを読んだ限りでは、彼の考えは”原子”なる概念を導入し、神々についての迷信的恐れを吹き払うという目的をもって書かれたように見える。
20世紀に電界放出顕微鏡で、原子の断面を見ることが出来るようになったとファインマン『電磁気学』に書かれているが、ルクレーティウスはただ詩人の直感で原子の存在を論じているに過ぎない。
それは信じられないほど現代の科学に似てはいる。だがかなり憶測的で不正確であることは逆らえない。
しかしそこは割り切って、答えを知っている私たち現代人が、ルクレーティウスが推理小説の主人公のように一生懸命謎の方程式の解を探し求めている姿に、深い関心を抱くことを何も妨げはしない。
アリストテレス
残念なのは彼が霊魂と魂の不死を否定していることである。これはあまりにも簡単に結論を出し過ぎているように見える。あるいは彼の言葉の使い方が私たちに誤解を生じさせただけのことかもしれない。
もう一つは彼のすごいところとして、宇宙の消滅を可能なものとしていることであろう。アリストテレスやプラトンをはじめ、天界は不滅・永遠なる神的な領域として別格の扱いを受けている。
ルクレーティウスは大地と天界を区別することなく、一様に原子の集合体として捉えているばかりか、全宇宙にくまなく浸透している共通のエネルギーというか、目に見えない力のことまで論ずる。
ISS
ごく最近科学により明らかになったように、天地は滅び得るものである。電磁気力なるものが宇宙を支える基本的な力となっていることをも、彼は知らない。磁石についてはほんのちょっと最後の方で語られはするが、その秘められた力のことには全く気付かない。
私たちは答えを知らされている。国際宇宙ステーションなる古いサッカー場ほどの大きさの人工物が地球の周りを自由落下しながら、Youtubeにライブ映像を流してくる。NASAは太陽の巨大なフレア、CME現象を撮影し、オーロラを大気圏外から実況する。
ESAのSWARMが地磁気の観測データを記録する。そこから見えてくるのは、電気に全面的に依存した現代の世界と、かろうじて地球の磁気によって守られている地表と大気、そして地球にごく近い宇宙空間の一部である。
まとめ
そんな私たちには責任があると言える。いわば科学が出した答えに人間として出さなければならない答えである。答えに答えを与えるのである。
科学が解明しなかったもので人間が感覚できないものは、昔は”霊”と呼ばれていた。太陽の表面やオーロラは、人間が本来見てはいけないものの一つである。
私たちはそれを見てしまった。電磁気力を知った。もしこれでも神を信じなければ、一体どうやって信じるか?ルクレーティウスは無罪である。