●前の記事はこちら→三島由紀夫【豊饒の海】まとめ(1)〜「春の雪」「奔馬」レビュー・解説・感想
「暁の寺」
第3巻は個人的に一番面白い。ロートレアモンの「マルドロールの歌」が日本語訳で紹介されたのはけっこう早かったから、三島氏も読んで何らかの影響を受けていたのかも。
破滅へと突き進む三島が死ぬ前のひと時、ほっと寛いでいるような楽しみ。冒頭の100ページほどがタイ旅行で、その後にさらに100ページ以上の輪廻転生論とインド旅行記が続く。小説が小説らしくなるのは半分過ぎから。
「春の雪」で清顕が生きていた頃タイの王子たちが日本に留学に来て、本多と彼らは一緒に夏を避暑地で過ごしていた。その王子は婚約者の死の連絡を受け帰国してしまった。はるかの歳月を超え、本多はある会社の弁護の仕事でタイに滞在しており、ついでにバンコクの王子に会いたいと思ったのだ。
宮廷へ出向くとかつての王子たちは多忙で不在だが、まだ幼い月光姫であれば御目通りが叶うだろう、と言われた。姫はジン・ジャンといった。
第3巻概要
ジン・ジャンは自分が日本人の生まれ変わりであり、日本に帰りたいと騒ぐので周囲から気狂い扱いされていた。姫に謁見した時泣き喚きながら本多の名を呼び、礼も挨拶もなしに腹を切って死んだことを詫びるのだった。
水遊びに出かけた時本多は姫の身体に3つの黒子を見つけられなかった。しかし姫は清顕と勲の記憶を二つとも有しながら、その自覚がないようだった。美しく成長した月光姫の前世記憶はすっかり消え、やがて日本へ留学した際に本多と別荘で再会する。
「暁の寺」では60歳近い本多は公園でアベックを覗いたりする変態である。しかも合法的に大金持ちだったから、何でも望みさえすれば手に入った。後半がややエロティックな内容で、この巻をユーモラスにしている。
親友の生まれ変わりのタイの乙女も本多にとっては色情の対象でしかない。わざと書斎の隣の部屋に泊まらせて、設えた覗き穴から何とかしてジン・ジャンの肢体を見ようとする。結局本多は別荘の隣人の熟女慶子とジン・ジャンがレズビアンであることを覗く。同時に初めて見る姫の乳房の下に3つの黒子を認める。
その後間も無く帰国した姫は20歳でコブラに噛まれて死んだ。
「天人五衰」
対して第4巻はかなり面白くない。ところどころ良くなっても、味付けがまばらな料理みたいに食うのに忍耐を要する。しかも一番内容を要約しづらい、筋が通っていないのだ。
この巻だけ短いのも現実世界の行動を優先した結果だろう。死亡日に脱稿はしているが事実上作品は完成しているようには見えない。作家としての文学・芸術に対する集中力が低下しているようで、現実の出来事で頭が一杯だったのかもしれない。
「5つが目覚めている時、5つが眠っている。5つが眠っている時、5つが目覚めている」とは仏陀の教え。5つの身体的感覚が目覚めている時は、精神の5つの感覚は眠っているという意味だろう。人はどちらかしか選べないようになっている。
第4巻概要
本多はすでに80歳前後の老人だった。ある日慶子と天保の松原を観に行く。能楽「羽衣」の所縁の地である。松原には天人の衣が引っかかった松があった。二人はその地で気になった粗末な木造の塔のような建物に入った。この建物は入港する船の所在をキャッチして各所へ連絡する役目の通信社の事務所だった。そこに透という16歳の少年が働いていた。
事務所には時たま絹江という容貌の醜い女が遊びに来ていた。この女をもっと小説で活かすべきだった。そうすれば割腹自殺はしたが三島氏のこの遺作が、譬え用のない文学の高みまで登れたと思う。
この女は地方都市のテレクラなどでたまに遭遇可能な博物館的ブス。創造の奇跡が美女だとすれば、同じレベルでいうところの奇跡的醜女;それが絹江の外観だった。しかも過去失恋して以来発狂し、自分が絶世の美女だと思い込んでいる。
さて塔に訪れて少年を観察するうちに、本多は透の身体に3つの黒子を見た。帰り道、老人は彼を養子にすることに決めた。ただし偶然出会いはしたが、清顕とこの少年の間には繋がりも脈絡もないのであった。
月修寺への坂
やがて透は20歳になると養父を虐待し始めた。火かき棒で頭を割ったり、虫けらのような扱いをして接した。久々に覗きをやった本多が公園で捕まったのもいじめに拍車をかけ、家の実権をことごとく取り上げてしまった。
実質上財産の支配者となり絹江を離れに住まわせる。見かねた旧友の慶子が透に転生の真実を告げ、なぜ老人が彼を養子にしたのかを説明した。彼は本多に清顕の夢日記を見せてくれと頼む。彼は20歳で死ぬ運命なのだ。もし死ななければ彼の輪廻転生は偽物だったということになる。果たして夢日記を読んだ透は数日後劇薬で自殺を図った:しかし生き延びて失明しただけだった。
自分を美女と思い込んでいる発狂した絹江を透は妊娠させる。本多は家の実権を取り戻す。勝手に秘密をバラされたことで慶子と絶交。そんなとき癌検診に引っかかった;膵臓である。
入院する前に人生の最後と思って、清顕と同じ道を辿りついに月修寺の聡子を尋ねた。現在は高名な僧侶、かつては親友の恋人であった聡子は会ってくれはしたが、本多の言う清顕のことなどまるきり覚えていなかった。その恋人が原因で仏道に入った聡子が、なぜ清顕を覚えていないということがあろう?
もしそうだとするならば、耄碌しているのは本多の方で、清顕など初めから存在しなかったということになる。清顕という太陽を中心とした輪廻転生の物語2000ページの最後が、それは全て気のせいだったという結論なのだ。
トムとジェリー
第4巻を脱稿した朝の昭和45年11月25日、三島由紀夫は自衛隊市ヶ谷駐屯地に斬り込み、バルコニーで演説後割腹自殺しこの世を去った。
「天人五衰」に自分を猫と思い込んでいる鼠の話が出てくる。その鼠は猫と遭遇し喰われそうになる。しかし鼠は俺は猫だから、猫は猫を喰える訳がないと言い張る。だが猫はそれなら猫であることを証明しろ、と要求する。
その鼠は洗剤の入った盥に飛び込んで自殺する。猫は食えたものではない死骸にそっぽを向けた;これで少なくとも鼠は猫に喰われなかった。これが三島氏が信じて実行した「自己正当化の自殺」の隠喩だった。
●三島由紀夫まとめ→【三島由紀夫】作品レビューまとめ・2018年最新版