ダンテ『神曲』「天国篇」もついに半ばを過ぎた。「天国篇」の詩はこちとら宇宙という名の虚空を泳ぐかのように辛いが、頑張って付いて行こう。
第19歌〜鷲
天国界第六天の木星にダンテはいた。木星の鷲の姿に隊形を組んだ魂らが、私たちとは言わず私は、と1人称で語った。皆で一つなのである。鷲は英語でEagleであるが、ウィリアム・ブレイクの「地獄の箴言」ではこう書かれている。
When you see an eagle, you see the portion of genius.
(君が鷲を見るとき、君は天才の一部分を見ている)
ダンテは鷲の魂に尋ねた。インドに生まれてキリストを知らないまま過ごした人がいたとして、仏陀のように優れた生涯を送っても地獄へ落ちるのか?ここには正義を行った人々が住んでいたが、彼らは神の深意を探ろうと思うなとダンテを戒めるとともに、不正な地上の王たちの名をあげて非難した。
第20歌〜ダビデ
鷲の魂は自分の目の位置にいる霊魂を紹介した。眼の位置で輝いているのはダビデらの魂である。鷲の眼はこちらに向かって挨拶するようにきらめき瞬くのだった。
ダビデは旧約聖書に記されているイスラエル王で、元々羊飼いであった。彼がペリシテ人最強の戦士ゴリアテを殺したのは有名である。
ダビデは主なる神が自分を守ってくれると信じて疑わなかったし、主の力の絶大さと全能を信頼していた。恐れることなく軽装備でゴリアテに対峙すると、パチンコ玉をぶっ放すようにして石を投げて殺した。
また「詩篇」の作者であり、この感動的な詩はグレゴリオ聖歌でもある。もし聴いたことがないなら一度賞味した方が良い。あの音楽は他では味わえない独特のもので絶望的だが希望に溢れ、喜びとともに深い悲しみに満ち聴くと激しく感動する。
第21歌〜土星天
ベアトリーチェがダンテを見つめ、ダンテはそのあまりの美しさに言葉を失った。ベアトリーチェはここで彼にもし微笑したなら、彼はゼウスを直視したために炎上した人間の娘セメレーのように灰になってしまうだろうと言った。
それで彼女は真顔で、聖なる沈黙を守る7番目の土星天へ着いたことを告げた。ここでは音楽や合唱が行われていない。土星(Saturnus)はローマ神話で農耕神として祀られ、ギリシャ神話では大地の大神クロノスである(これに対して大空の神はウラノス)。
さて土星には上へ向かって神の梯子がかけられていた。これはパッダンアラムでヤコブが野宿した時に見た幻で、天へ向かって梯子がかけられて天使が上り下りしていたのである。これは横文字で”ジェイコブズ・ラダー”などと呼ばれる。
土星の輪
ダンテが見たという土星の梯子が果たして土星のリングの暗喩なのかどうか、それはわからぬ。土星に輪があることを初めて見たのは、1610年ガリレオ・ガリレイが望遠鏡を使ってである。が彼はそれを輪であるとは認識しなかった。よって「神曲」が書かれた時に人類で誰一人、土星に輪があるなどと思う人はいなかった。土星の輪は科学によると宇宙の塵と氷の集まりだそうである。
静かな観想の生活を送った人々の霊が住まう土星。その一人ピエトロ・ダミアーノが土星の静寂の意味について、言葉で説明できない旨をダンテに教える。そして地上の偽聖職者を弾劾すると梯子を魂が次々降りてきて輪を描き、神秘な叫びをあげるとダンテはあまりのすごさに呆然自失してしまった。