ダンテらがいるのは殉教者の住まう火星天。十字形の光からダンテの先祖のカッチャグイダが話しかける。
第16歌〜田舎者
カッチャグイダが引き続き火星天で演説を続ける。この歌での主な話の内容はフィレンツェが田舎者の成り上がり者たちによって堕落させられたことへの反撥である。
三島由紀夫は自分が江戸っ子であるという理由でよく「田舎者」文学者を見下す。たしかに谷崎潤一郎など東京生まれの作家は作品も垢抜けていて美しい。
そんなわけで三島は太宰治を田舎臭い坊ちゃんと読んで唾棄していた(笑)。あの泉鏡花でさえ田舎出身だということで、三島からどこか見下されたところがある。
その傲岸さは筋肉ムキムキの日の丸ハチマキ写真で見て取れる。いったい真理を求めるのに田舎もクソもあるのだろうか?と私は自分が田舎者だから言うのであるが、この「神曲」でさえダンテは田舎者をけなしているのだから、一般に血統の良い家柄の人は腐ってもそれを自慢にするものなのだな、と言えよう。
第17歌〜追放
この歌もダンテのお祖父さんのお祖父さんであるカッチャグイダの演説。かれはダンテが将来被るであろう苦難、つまり故郷からの追放について予言する。
またダンテがこれまでの死後の世界を描くにあたり名の知れた有名人を選んできたのは、詩に信憑性を与えるためだったということが説明される。
第18歌〜木星天
カッチャグイダが十字軍の名前を次々号令をかけると、光る十字架から呼び声に応じた魂が飛び交った。十字軍(Crusaders)は中世カトリック教会が聖地エルサレム奪還のため、イスラム諸国へと派遣した軍隊である。
やがて赤い火星の光が遠ざかったと思うと今度はすぐさま白い光が包み込んだ。より広い天球へ達したのが感じられた。ダンテは木星天にいた。
木星は太陽から数えて5番目の公転軌道の惑星である。英語でジュピター(Jupiter)と呼び、名前はローマ神話のユピテル、ギリシャ神話ではゼウスを指す。
木星天では喜び踊る魂たちが小鳥の群れに喩えられる。ウィリアム・ブレイクの詩「天国と地獄の結婚」の一節を引用する。
How do you know that every birds that cut the airy way,
Is an immense worlds of Delight, closed by your senses five?
(君の5つの感覚に閉ざされていながら、空を切る鳥たちの限りなき歓喜の世界を、君はどうやって知るのか?)
木星の魂たちは光る文字を描いて神を崇めたり、鷲の頭の形に隊列を組んだりしてダンテらを迎えた。