第10歌〜岩を背負う
もし少しでも後ろを振り向こうものなら、ここ煉獄では最初の門まで戻されてしまう。
決して過ぎてきた道のりへの未練を持つなとの戒めは、ただひたすら上を目指して登ることこそ唯一の救いと教えている。
歌声とともに煉獄第一の環道へ入ったダンテとヴェルギリウス。煉獄の山道は螺旋状に上へと伸びているが、道の幅は人の身長の3倍くらいの幅だった。
そして道の片側は崖で空に接し、切り立った山肌には大理石の彫刻がほどこされていた。
彫刻には聖書の物語や神話がさながら絵巻物のように織り成されていた。
さてこの環道では傲慢の罪によって魂が苦しめられていた。それぞれ重い岩を背負い、強制的に身を低くかがめさせられて歩くのだ。
第11歌〜高慢の罪
高慢によって重荷を背負う人々はたくさんいた。彼らの話を聴きながら二人は進む。
ここでなぜ煉獄の一番最初が「傲慢の罪」から始まり、また「慎ましさ」が求められるかを考えたい。
思うに地獄という場所は殺戮の場であり、怒りや憎しみの場である。「私は他人より偉い」という考えは周囲の人間の大量虐殺を欲する。
そのような狂人は周りの人間を蔑み、常に人を殺したいという欲望に苛まれているため心に安らぎがない。これが地獄である。
地獄の底へ落ち、貫通することで煉獄に出る。狂人はもう「自分が偉い」とは考えない。なぜなら悪が逆転して善に交わったからだ。
第12歌〜浄化
ダンテは師匠から目を下へ向けて歩け、そうすれば気が楽になる。と教えられる。今まで傲慢に胸を張り頭を突き出して、周囲をあざ笑ってきたからだ。
その罪は己に跳ね返ってくる。だからここであえて詩人は俯いて歩くのである。
見ると路面には神話が彫刻されていた。どれも高慢の罪によって罰された歴史上の話だった。それを眺めながら歩くと苦しみは半減するのだった。
昼頃になると天使が現れてダンテの額の"P"の文字を一つ消した。すると身がその分軽くなった。
浄められる罪の数だけ道のりが楽になるのだ。
二人はまた歌声とともに第二の環道へと入って行く。地獄では段階ごとに阿鼻叫喚が聞こえてきたが、煉獄では甘美な音楽が流れるようである。
まとめ
街を歩いている時、皆さんはスマホを見ながら歩くのだろうか。それは危ないからやめたほうが良い。
野心のある若い人や身分の高い方、「私は周りより偉い」と思っている方。皆さんは顔を高く上げて胸を張り、鼻を突き出して歩くのだろうか?または椅子に踏ん反り返るのだろうか。
わからない。あるいは心の底に独裁者・暴君の性質を隠しているテロリストっぽい方。あなた方は「普通」という仮面を被って実は、電車の中で目の前の青白い他人のうなじを切り落としたいと考えているのではないか?
わからない。ともあれ煉獄の最初で傲慢の罪を浄めるにあたり必要なのは、まずは「下を見ながら歩くこと」なのだ。
頼りない二つの自分の足の先が、何かわからない永遠に向かってしずしずと進んで行くのをじっと見る。
道路には不思議な物語が刻まれ、色々な思いが頭を通り過ぎる。これまで突っ張ってきた分、ここでは身を低くされるのだ。