概要
久々三島由紀夫レビューである。最近暇がなくて本を読むどころではなかった。地元図書館にある文庫版・三島由紀夫は「豊穣の海」(これは楽しみにとってある)4部作以外は読み尽くしたので、最後の一冊がこれだった。何せ題名が平凡だから、内容も大したことなかろうとタカをくくっていたからだ。
ところが読み終えるやそのことが間違っていたことがわかった。「潮騒」より前で7作目の長編であるが、こちらも恋愛物となっている。楽しい・面白い・文体が素晴らしいのはほとんどの三島娯楽小説では当たり前だが、この作品は別段特徴なきタイトルに対して内容が極めて変わっている。
発表は1951年なので、「私の遍歴時代」で語られた初期の頃の作品ということになる。それによれば26歳の海外旅行までが遍歴時代だと書かれているからだ。これら初期作品はボディビルで身体に筋肉が付く前の柔軟・繊細な面白さがあって興味深い。
◯「潮騒」についてはこちら→三島由紀夫【潮騒】2017年最新レビュー・あらすじと感想
◯「私の遍歴時代」についてはこちら→三島由紀夫【私の遍歴時代】青年が「文士」になるまでの赤裸々な回想録
あらすじ
夏子は良い家のお嬢様。美人なのは言うまでもない。わがまま・気まぐれでフランス女(偏見かもしれないが)みたいだ。
神秘的な女心からある時彼女は札幌の修道院に入る!と言い出した。というのは都会のありきたりの若者たちに飽き飽きし、男に愛想を尽かしたためだった。だが彼女は処女のままだった。
上野の列車の駅ホームで夏子は、猟銃を肩にかけた深い眼差しを持った青年を見かける。その眼の輝きこそ、彼女が探していた「あるもの」だった。
船
二人は偶然同じ北海道行きの船に乗り合わせた。船のデッキで出会った時、彼女の帽子が風に飛ばされた。若者は手を伸ばしたが間に合わず、帽子は海の波に消えた。二人はそこで自己紹介する。青年は井田毅といった。
その時は各々の宿泊先を伝え合っただけだったが、翌日夏子は毅を訪ねて行った。
二人で散歩しながらおしゃべりするうちに、毅の札幌行きの目的を聞かされた。
アイヌ
昨年毅は勝手知ったるアイヌの村に泊まらせてもらって、狩をしていた。その家の秋子という少女と恋に落ち、来年(つまり今年)お嫁さんにするために連れ帰りに来る約束までした。しかし秋子は毅が帰るとすぐ、村に出没した人食い熊に殺されてしまう。
秋子の仇を打つために、毅はその熊を探しにアイヌの村へ向かっているというのだった!
ど田舎のアイヌの村に2人も3人も美女がいるのは不自然だが、そこは小説ということで。 😉
話を聞いた夏子は修道院へ入るのをやめることにし、無理やり毅の熊狩に同伴する。途中鬱陶しい足手まといに思われながらも、いつしか青年は美しい夏子の虜になっていた。
人食い熊
見所は札幌猟友会支部長の黒川、札幌タイムス記者の野口、夏子の祖母・伯母・母の三馬鹿トリオらの協力を得て、ついに人食い熊の行動をつかんだ一行が仇を仕留める場面である。熊に襲われた犠牲者の話や熊との最後の戦いなどは「レヴェナント・蘇りし者」のディカプリオを襲ったグリズリーもかくやのリアルな描写だ。
千歳川支流近くの村コタナイ・コタンを舞台に繰り広げられる攻防には、三島の小説としては珍しく見取り図も付いていて臨場感がある。
◯「レヴェナント」についてはこちらの記事をどうぞ 🙂 →【レヴェナント:蘇りし者】レビュー〜評価・感想とあらすじ
松明
夜の中で松明が煌々と輝いていた。毅の猟銃で仕留められ慣習に従って解体された熊を、村人が集まってきて取り囲んだ。
炎の影は二人の若い恋人の顔を照らし、三島由紀夫が精通している古代的な(あくまで日本的なものとしての)崇高さを湛えていた。火と燃える瞳同士で見つめ合う二人は、肉体的な接触なしに完全に「結合」していたのだった。
結末
無事仇を打ち、亡き少女を忘れ夏子と結婚する手筈だった。しかし夏子は青年の目から熊を狩に行く時に見たかつての深い輝きが失せているのを認めた。
毅はサラリーマン生活や子作り、新築の家、旅行などありきたりの夢ばかりしか思い描かない、都会の女垂らしどもと同じになっていた。
夏子は札幌行きの船に再び乗ると母たちに宣言し、こう断定した。「夏子、やっぱり修道院に入る」