【ボードレール『悪の華』】「飛翔」──神々が飲む聖なる酒と精神の超越

【ボードレール『悪の華』】「飛翔」──神々の飲む聖なる酒と精神の超越

天上へのまなざし──詩「Élévation」の冒頭

Au-dessus des étangs, au-dessus des vallées,
Des montagnes, des bois, des nuages, des mers,
Par delà le soleil, par delà les ethers,
Par delà les confins des sphères étoilée,

『悪の華』の第3詩「Élévation(飛翔)」は、その冒頭から響き渡るような高揚感を湛えた韻律で始まる。沼地、谷間、山、森、雲、海──そして太陽、エーテル、星々の領域さえも超えて、詩人の意識は空高く舞い上がっていく。

精神の貴族──ボードレールとダンディズム

この詩には、いわゆる“ダンディズム”の精神が宿っている。それは世俗の快楽や苦痛、束縛された感情を超えた場所で、思考そのものに歓喜する力だ。澁澤龍彦が「真の男性とはセクシュアリティであると同時に、それ以上の何者かである」と述べたように、ここでは精神の強度が美として立ち上がっている。

切腹という行為に超越の美を見出した日本の武士道と同様に、「飛翔」は物質世界の暗がりを照らす精神の光を描く。たとえ愛や栄光が手に入らずとも、思考する存在は、永遠の世界に触れうるのだと。

詩人と理性──ヌースと神のまなざし

ボードレールの作品には、形而上学的な思想が随所に見られる。「飛翔」にも、ヘルメス文書や聖書に通じる象徴が浮かび上がる。

『ポイマンドレース』において、神は自らを「ヌース(理性)」と呼び、『出エジプト記』では「私は在る者」と名乗る。理性とは、神的な働きであり、世界を貫く純粋知性である。アダムとイヴに象徴される人類の起源においても、理性と母性は補い合う役割を担っていた。

ボードレールの詩は、人間という存在に宿る神的な“像(イメージ)”を信じていた。今の政治家たちを見て「どこに理性があるのか?」と問いたくなる感情も、詩人の憤りの一部だったのかもしれない。

神々が飲む聖なる酒──アイオーンの象徴

詩人の魂は、グーグルマップもない時代に天へと飛翔し、星々の空間を越えて、エーテルを満たす清浄なる火を飲み干す。それは神々だけが口にする酒──ギリシャ語で“永遠”を意味する アイオーン(Aion) に喩えられる。

この酒は、現世の迷妄から脱した者のみが味わえるもの。決してコンビニでは売っていない。アイオーンとは、クラテール(混酒器)としての宇宙を超越した、魂の歓喜の象徴でもある。

ちなみに、現代日本の「イオンモール(AEON)」は、その名称がギリシャ語の神聖な語に似ている。偶然か、それとも皮肉か。詩人ならば、そこにも世界の欺瞞を見抜いていたかもしれない。

羽毛より軽やかな思考

日々を覆う深刻さ、重苦しい現実──しかし「飛翔」が教えるのは、それらを羽毛のように軽やかに受け流す力である。

古代エジプトの『死者の書』では、死者の魂は秤にかけられ、一枚の羽より重い魂は冥府の怪物に喰われるという。思考とは本来、軽やかであるべきなのだ。

「夜明けの空を駆ける雲雀のような想い(pensées)」──この詩の終盤にある一節は、日々の苛立ちや重圧から解き放たれるための詩人の祈りであり、読者への祝福でもある。

詩人の臨終と、星となった詩句

ボードレールは名声にも富にも恵まれず、病と貧困の中で生涯を閉じた。社会からも忘れられ、母の看取る中で静かに逝った彼の臨終は、確かに“地獄堕ち”と評されるものかもしれない。

だが、それでもなお『悪の華』の詩句は、死後に星のように輝きはじめた。これは詩人の願ったとおりだったのかもしれない。永遠の酒を口にし、世俗を超えて飛翔した魂は、ついに星となって後世を照らす。

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